苦しい本

 金時鐘の半生を綴った本です。中心になるのは、済州島で起きた「四・三事件」と呼ばれる大虐殺事件です。私自身が戦後の韓国の歴史に不案内なため、読んでもわからない部分が多いのですが、日本が戦争に負けて、朝鮮半島が解放されてからの歴史について、少なくとも当時の日本人の子孫である私は知っておくべきことだと思いました。現在私が住んでいる大阪市は在日の方がたくさん住んでいて、その遠因は日本が朝鮮半島を植民地としていたことにあることは知っているのですが、では、植民地とは何なのか、あるいは自分の国が植民地となるとはどういうことなのかと問われると、私には分からなくなってしまうのです。この本を読んで何かが分かったわけではなのですが、いくつかはっとするところがありました。
 「私には自前のことばで唄う童謡、わらべうたが一つもありません。誰しもが至純に想い起こすべき、幼い日の歌がないのです。歌ごころにあるのはみながみな、日本の歌ばかりです……その数ある歌がなつかしい歌となって、私の体のなかに沁みついてしまっているのです」という金時鐘の言葉には恨み言めいた口調はありませんが、何とも罪深いことを日本という国は行ったのだろうと思わされます。
 日本人になれと教えられ、それに純粋に応えようとした金少年、教育の力、その恐ろしさを感じます。朝鮮人である自己を語る手段として日本語を基本に持ってしまった人は、その引き裂かれるような気持ちをどうしたらよいのでしょうか。解放時に済州島の方言しかしゃべれず、ハングルは一文字も知らなかった少年が。金時鐘はしかし今も日本語で詩を書いています。金時鐘は最後の方でこのように書いています。
「〈在日を生きる〉という、日本で生きてゆくことの命題にも行き着くことができました。日本という“一つどころ”を同じく生きている在日朝鮮人の実存こそが、南北対立の壁を日常次元で超えられる民族融和への実質的な統一の場である、というのが在日を生きる私の命題要旨です。」
 金時鐘は殺戮の島から脱出し、日本へ渡り在日として生きていきます。北朝鮮への希望を抱き、それが幻想に終わる。朝鮮戦争で日本は米軍の基地となり、朝鮮半島へ殺戮機械をひたすら輸送する。日本のあちこちで朝鮮への武器や弾薬の輸送を食い止めようと体を張って妨害した事件がありました。大阪の吹田事件は有名です。この本でも吹田事件のことに触れています。貨物列車を止めるために線路の上に体を横たえ、数珠つなぎになった人たちのことなどを描写しています。
 アメリカは朝鮮半島を日本の支配から解放した解放者として入ってきますが、すぐに追放されていた親日の元官僚たちを元の職に就けて日本統治時代と変わらない状況を作ってしまいます。反共の嵐の中で大虐殺が行われます。朝鮮戦争が始まり、朝鮮半島は分断されます。朝鮮半島がなければ分断されていたのは日本列島でしょう。そのことが書かれていなくても浮かび上がってきます。日本は朝鮮戦争での特需で一気に景気を回復していきます。この日本史の教科書にも載っていることがらの裏でどんなことが起こっているか、知らずには済まされないでしょう。戦争責任という場合、もちろん政治的な、法的なそれがあるでしょう。しかし倫理的な側面を考えた時に、日本はやはりうまくやりすぎたと思います。やはり朝鮮半島への植民地支配とその後の一人勝ちの様子は、「ちょっとそれはないんじゃないの?」と言いたくなると思います。