神社の起源と古代朝鮮

 神社というと日本独自のもののようだが、本書を読むとそれが思い込みに過ぎないことが明らかになる。『大阪アースダイバー』などにも触れられているが、そもそも日本と朝鮮半島は古代においては文化圏でいうとほとんど一つといってよい状況だったようだ。現代人はどうしても「国」というと反射的に「国民国家」(ネーション)を思い浮かべてしまうと思うのだけれど、国民国家の概念は近代になってからの考え方で、歴史の流れでいえば、最近の話である。
 本書では古代朝鮮の国である新羅の影響が色濃く残っている近江の探索から始まる。本書はなかなか読みやすい本で、結果だけが、つまりこの神社の名前がこうで、祭神がこうだから、新羅系だということだけが淡々と書かれているわけではない。そうであったら退屈でしかたがない。筆者がタクシーに乗ってあちこち巡りながら目的の神社を探したり、そこでたまたま声をかけた人が(全然人に遭わない。「第一村人発見!」という感じでようやく人に巡り会う)、実は代々続く宮司さんだったり、電車の駅で聞いても全然分からず、タクシーもなく、自転車で神社探しをしたり、山道を間違えて登って引き返したりと、なんだか読者も一緒になって神社を探しているような気になってくる。しかもそれが古代朝鮮と日本の神社の接点を探すというロマンティックな謎解きになっているのだから、面白い。ヒントは『古事記』や『日本書紀』『延喜式』などにも載っているし、古代朝鮮語そのままの名前で残っている神社や地域名や河川の名などが出てくる。(ナラが朝鮮語では「国」を意味するが、奈良の地名はそれに由来することはあまりにも有名だ)そんな風にピタリとピースがはまる瞬間がぞくぞくするほど面白く、こういう研究は病みつきになるだろうなと思う。
 第二章では天日槍(アメノヒボコ)の話。『記紀』に載っている有名な話で、ずばり朝鮮半島から日本列島へ神様がやってくる話なのだが、これが単なる伝説ではなく、史実を踏まえていることを明らかにしていく。第三章の敦賀、第四章の出雲、第五章の三輪山でも一本通っている線は、朝鮮半島から日本列島へ製鉄の技術を持った技術者集団が波状的に移住してきたという仮説である。実際古代に製鉄を行っていた「たたら場」がこれらの地域には数多くあり、そこには必ず新羅系の神社が見出されるのである。ただし出雲は新羅系の痕跡を周到に消し去ったあとが『出雲国風土記』などに見られるという。出雲以外でも新羅との関係は大和の政権が百済との関係を強める中で意図的に消されていったようである。出雲国といえば、あの有名な15メートルにも及ぶ巨木の上に築かれた神殿であるが、最近巻向のあたりで出雲型の神社が発掘されて話題になった。これは筆者が第5章で論じている、三輪信仰と出雲の深い関わりのさらなる証拠といえるだろう。
 国譲りで有名なオオナムチの神、三貴子の一人スサノヲこれらの神は朝鮮系であるという。そしてこれらの神にまつわる神社の周辺には製鉄に関連する遺跡が発掘される。『記紀』において、これらの神に関する記述や三輪山雄略天皇で途絶えた皇統と継体天皇の出自に関する記述は『記紀』研究ではいつも話題が豊富で、きちんと決着していないところだ。今挙げた点について、本書は一つの解答を与える。『記紀』の編纂者たちは日本が朝鮮や中国と比較しても正統でまともな国であることを証明する目的で書いたようだ。その中でさまざまな伝承をつぎはぎしたところがいくつもあり、そもそも天皇家が途絶えることなく続いているということがフィクションであり、実際には王朝の交代があったものを、一つの皇統に編集したという説もある。少なくとも筆者が指摘するように、朝鮮半島からの渡来人が天皇家と婚姻関係にあったことは間違いないようだ。(だいぶ前だが天皇自身が自分は渡来系だと言っていた)
 第六章では宇佐八幡がやはり銅の精錬技術に関連して朝鮮半島からの渡来人が関わっていることを明らかにしている。
 最終章ではいよいよ朝鮮半島での実地調査についての報告がある。この部分は筆者の前著の要約版のようで、前著は朝鮮半島の神社についてがメインになっているようだ。朝鮮では現在神社信仰は廃れてしまっている。「堂」(タン)と呼ばれる社殿が残っているところもあるが、仏教化、儒教化してしまって、儀式も含めて古代の姿をほとんどとどめていない。ムーダン(巫女)の祈り(踊りながらする)などに、古代の信仰の姿が垣間見えるという。日本でも伊勢の斎宮、賀茂の斎院のように、もともとは女性が神の依り代として仕える形が本義であったらしい。朝鮮半島儒教の進出により、神社信仰は破壊され、日本のように残ることはなかった。また、元々の神社信仰は、社殿をもたないもので、神域としての杜(もり)がそのまま信仰の対象であったとしている。三輪山は山がご神体である。蛇が神の姿であるとされているが、蛇を祀る信仰は元々朝鮮半島にある。また樹木を祀り神樹とする信仰は朝鮮半島でも受け継がれているという。
 竹島だ独島だと騒いでいる人もいるようだが、古代からの歴史を振り返れば、山陰地方は大和よりも朝鮮半島に近く、文化的にも隔たりはなかったようだ。まして関東地方はどうだろうか。関東地方にはスサノヲを祀る神社が多い。製鉄の渡来系技術者が移り住んでいるのである。たとえば、対馬に住んでいる人にとって、理想的な日韓のありかたは何であろうか。政府のある東京よりも韓国の方が彼らにとってはずっと身近で文化的にも長いつき合いのある地域なのだ。それは沖縄と台湾や中国に関してもいえるだろう。ここでも問題の中心から遠ざかれば遠ざかるほど、理念的で無責任な発言がまかり通ることになる。どうせ遠いなら、地理的な遠さだけでなく歴史的な遠さも学んでもう一度冷静にものごとを考えた方がいい。