成熟した大人とは

約束された場所で (underground2)

この作品は副題に「underground2」とあるように、村上春樹地下鉄サリン事件で被害を受けた人たちにインタビューした作品『アンダーグラウンド』の姉妹編のような作品です。本作はオウム信者や元信者にインタビューした内容を綴っています。この2作品についての著者村上春樹自身の解説が『雑文集』の中の「『アンダーグラウンド』をめぐって」という章にわりと長めに書かれていて、著者自身の問題意識についてはこれを読むのがよいと思います。
 本書の内容についてはオウムに関わった人たちのそれぞれの人生が語られていて興味深いのですが、私は「あとがき」に村上春樹が書いている文章に納得したので、それについて書こうと思います。オウムの(元)信者たちに「オウム真理教に入信したことを後悔していますか」問いかけたときに、ほぼ全員が口をそろえて「後悔していない」と答えたそうです。村上春樹は「それはどうしてだろう?答えは簡単だ。現世ではまず手に入れることのできない純粋な価値がたしかにそこには存在していたからだ。」と言っています。また、「残念なことだが、現実性を欠いた言葉や論理は、現実性を含んだ(それ故にいちいち夾雑物を重石のようにひきずって行動しなくてはならない)言葉や論理よりも往々にして強い力を持つからだ。」とも語っています。『雑文集』ではこの話をさらに展開して、物語の力について語っており、読み応えがあります。オウム(元)信者たちは優秀な人が多く、高学歴のエリートが多いのですが、小説の類をほとんど読んでいないと村上春樹は指摘しています。本書でも小説は読めないと語るオウム信者が出てきます。村上春樹は物語に親しむことが、オウム真理教のようなカルトに深く入り込んでしまわないために大切だと語っています。麻原彰晃は確かにストーリーテラーとしての才能があり、多くの人を引きつけた。しかしそれは閉じた物語であって、麻原が意図した読みしかできない物語であった、と村上春樹は言っています。優れた物語は開かれており、読む者によって、多様な読みが可能であり、その物語世界に入って、外に出た時に、現実世界の見方が変わるような体験をさせてくれるが、現実世界と物語世界は違うものなんだと読者は分かっています。優れた物語には必ず読後にも謎が残るし、再読した時には前とは違うことに気づいたりします。自分の年齢や境遇が変われば違う答えが引き出されてきます。こうした読み物を「読めない」オウム(元)信者たちの硬直した正しさ、真理というものには、ある意味の幼さがあるように思います。しかしそれゆえに力強く、純粋です。大人になるということは、決着のつかない曖昧さを飲み込みながら生きるということかもしれません。筆者の言う「夾雑物を重石をひきずって」ということです。それを拒絶して純粋に生きようとするのは、一見清らかなようですが、何か無責任な感じがします。池波正太郎の『鬼平犯科帳』の中に「人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。」とありますが、心に染みる言葉です。善悪をはっきり付けられないことに関わっていくというのは、自分自身も汚れる覚悟を持たなくてはいけません。結局オウム(元)信者たちは、そういう汚れを引き受けるような生き方をしたくなかったのだろうと思います。『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」こと長谷川平蔵は、罪を裁く側にいながら、しばしば自分も悪に染まることを厭いません。そういえば、村上春樹が愛しているレイモンド・チャンドラーの描く探偵フィリップ・マーロウもほとんど悪人のようでありながら、誠と愛を貫こうとするところがあります。そして黙って自分の胸のうちに納めて去って行くのです。大人だなぁ。