卵の側に立つ

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 本書は、混迷するパレスチナ問題に、キリスト教がどのような役割を担ってきたのかを明らかにしたものである。筆者の村山盛忠は日本キリスト教団の牧師であり、信仰者としての反省が執筆の動機となっている。とはいえ内容は個人の信仰の問題ではなく、歴史的にキリスト教が現在のパレスチナ問題についていかにイスラエル寄りの役割を果たしてきてしまったかに焦点が当てられている。そういう意味で本書は社会学的な歴史の掘り起こしをする書と言える。
 パレスチナの地とユダヤの民との関係はユダヤの民と神との契約にまで遡り、イスラエルの建国とはその預言の成就であるというのが、キリスト教世界の常識である。私も少なくとも建前はそうだろうと思っていたし、ユダヤ人はみんなそう考えているんだろうと思っていた。ところが筆者の丁寧な解説によれば、このような歴史認識は、ヨーロッパのユダヤ人によって造られた歴史認識であり、ホロコースト潜在的な罪悪感を抱くヨーロッパのキリスト教徒による追認が後押しした歴史観であるということだ。日本には西欧世界を通じてキリスト教が入って来ているので、当然日本のキリスト教界もこの歴史観を受け継いでいる。筆者は内村鑑三矢内原忠雄とガンディーの発言を取り上げて比較している。内村と矢内原は、イスラエル建国を聖書の預言の成就ととらえ、神の再臨も必ず来るというキリスト再臨の前兆として自身の信仰への確信を深めている。ガンディーはパレスチナはアラブの地であり、ユダヤ人をアラブ人に押しつけることは人道に対する犯罪だと言っている。
 旧約聖書の歴史は、古代イスラエル人の歴史を「神の民」としてとらえる歴史観であり、神の民とかかわりのない歴史は切りすてられている。つまり「旧約聖書イスラエル史=パレスチナ史」ではなく、旧約聖書で書かれていない部分も含めてパレスチナをとらえなければ、歴史認識としては一方的なものになると筆者は指摘している。筆者は「パレスチナ被征服史」の視点から見れば、出エジプトもカナンの土地への侵略になると言っている。考えてみれば当たり前なのだが、今までそういう風に考えたことがなかった。
 これも新しい視点を与えられた記述だが、第一章に筆者が詳しく書いている、イスラエル建国にいたるシオニズム運動についてだ。
 そもそも西ヨーロッパに近代資本主義社会が形成され、国民国家が出現する過程において、なかなか同化しようとしないユダヤ人が被差別者としてクローズアップされ、反ユダヤ主義が形成されてきた。その「ユダヤ人問題」の最終解決としてナチスによる虐殺が起こった。ユダヤ人に対する大虐殺(ポグロム)は19世紀に入ってから続発しており、ナチスの虐殺はその流れで起きてきたものである。こうした中で、ユダヤ人の自立的解放運動が起きてきて、そこにユダヤ人のための郷土を設立するという政治的目標と指針を提起した運動として、シオニズムという言葉が生まれてくる。ここで興味深いのは、ユダヤ人の民族郷土がパレスチナでなければならないのか、あるいは他の地でも可能なのかという問いが投げかけられていることである。しかもウガンダ案がかなり有力な案として議論されていた。そういう中でパレスチナでなければならないとする一派と他の地でもよいとする一派が対立・分裂してしまう。決定的な役割を果たしたのは1917年のイギリスによる「バルフォア宣言」で、これを盾にしてユダヤ人のパレスチナ入植は加速していきます。この時点でのパレスチナ・アラブ人の土地所有率は97.5%、ユダヤ人は2.5%。イギリスがユダヤ国家の建設を承認したのは、第一次世界大戦後の列強による中東世界分割の問題がからんでおり、イギリスの生命線であるスエズ運河に対する障壁、エジプトに隣接した国として北からの脅威に備える防壁としての役割が期待されたからであった。
 西ヨーロッパの国民国家の出現過程で生まれたユダヤ人問題。ここから、ユダヤ人を民族としてとらえる思想が形成され、ユダヤ民族国家としてのイスラエルが生まれてくる。中東に住んでいた、ホロコーストを経験していないユダヤ人にはそういう概念は存在しない。ユダヤ教徒であってもユダヤ民族ではない。そういう意味でイスラエル国家は西欧近代資本主義社会・キリスト教社会が生み出したものであると筆者は説明している。したがって次のようなことが起こってくる。
 イスラエルユダヤ人約400万人中、ヨーロッパ系が35%、アラブ系が65%、しかし政治・経済・教育・軍事のすべてで支配権力を握っているのはヨーロッパ系のユダヤ人であり、アラブ系ユダヤ人はイスラエルの中で二級市民の位置しか与えられず、アラブ・パレスチナ人や占領下パレスチナ人との最前線に置かれ、敵愾心をあおられてきた。私はこういうことが日本できちんと説明されているとは思えない。
 また、イスラエル国家はパレスチナに住んでいた人々を虐殺しあるいは土地を武力で奪い取ったため、パレスチナから逃れた人の他に、占領されてしまってイスラエル国籍を取らざるを得なくなったパレスチナ人もいる。その人たちはもちろん二級市民として差別されている。難民になってどこにも所属していないパレスチナ人もいれば、周辺国の国籍を取得しているパレスチナ人もいる。筆者は指摘しています。かつて離散させられ、差別されたユダヤ人が、同じことをパレスチナ人にしていると。これはヨーロッパにおけるユダヤ人問題をパレスチナが引き継いでいるのだと。
 本書の後半は筆者の専門分野とも言える神学と歴史の問題について詳しく書かれている。私には正直荷が重く理解できているのは半分くらいだと思う。
 そもそもの元をたどれば、中東世界のキリスト教が5世紀以降、抹殺されたままになっており、今日のイスラエル問題を引き起こしているということだ。
 中東世界のキリスト教は、オリエンタル・オーソドックス(Oriental Orthodox)と呼ばれ、土着宗教として2000年の信仰を継承している。これはイースタン・オーソドックス(Eastern Orthodox)とは別物である。イースタン・オーソドックスは日本では「東方正教会」と呼ばれている。オリエンタル・オーソドックスのは、シリア・オーソドックス、コプト・オーソドックス、アルメニア・オーソドックスが存在するが、キリスト教史では異端として切りすてられてきた。これらは451年のカルケドン公会議で異端とされる。しかしこれには神学上の問題よりも政治上の問題があった。当時の古代総主教座には、エルサレムアレクサンドリア(エジプト)、アンティオキア(シリア)、コンスタンティノポリス(東ローマ、キリシャ)、ローマ(ラテン、イタリア)、エチミアジンアルメニア)、セレウキア・クテシフォン(アッシリア)が存在した。その中でコンスタンティノポリスの総主教が、東ローマ帝国の政治力を背景に台頭し、ギリシャ語での礼拝を進めていった。オリエンタル・オーソドックスの教会はそれぞれ民衆の言葉であるコプト語アルメニア語、シリア語での礼拝を守り、民族的・文化的土壌によって成立してきた教会の存在と宣教のあり方を主張した。東ローマ帝国は帝国統一のためにキリスト教保護政策を打ち出していたため、コンスタンティノポリスの総主教と敵対することは、東ローマ帝国とも敵対することとなってしまったのである。キリスト教が国教になったのが392年、東西ローマに分裂したのが395年であり、帝国としても国教の正当な解釈とその布教が帝国統一のために必要であったのだろう。この時期には多くの公会議で異端が発生している。
 この辺の地勢的・歴史的知識があまりに不足しているので、思わず高校の世界史の教科書を出して調べてみたところ、そもそもカルケドン公会議は載っていない。ニケーアの公会議(キリストの神性を否定するアリウス派が異端とされる。三位一体説の出発点)とエフェソスの公会議ネストリウス派が異端とされる)は載っていたが、ほんの数行で、筆者の指摘するような、政治との関わりについては書かれていない。本書にはこれらの公会議について、時の皇帝の政治姿勢と「正統」「異端」問題とは深く関わっていることが詳しく書かれている。世界史の教科書にある地域のことについてあまりに詳しく書きすぎるととても高校生が消化できる分量でなくなってしまうのはよくわかる。だが、中東に関する記述があまりに少ないのは驚くべきほどで、世界史の教科書の他の中東関係部分も読んだが、西欧世界に比べると非常に少なく、世界史の主流ではないというとらえ方が明らかだ。ちなみにアフリカ大陸についてはもっと少ないのだが。
 ちなみに筆者によれば、日本で出版されている『キリスト教辞典』には、カルケドン公会議後にカルケドン公会議を認めないコプト正教会(反皇帝派)が立てたアレクサンドリア総主教の名を記さず、ギリシャ正教側(皇帝派)の立てた総主教のみを記しているそうだ。 
 本書はこの後、ペルシャによる支配、ビザンティンによる再支配、アラブの到来を歴史的に叙述していく。いずれも世界史の教科書にはほとんど触れられない部分だ。筆者はこれらの歴史を振り返って、キリスト教イスラム世界は中東ではずっと共生してきたのだと強調している。さらに西欧世界のキリスト教を正統として、中東の土着のキリスト教会を異端として無視してきた歴史が今日のパレスチナ問題の根底にあると指摘している。
 本書はそんなに分厚い本ではない。しかし理解するのに時間がかかる。自分が知っている世界ではないからだ。日本に住み、日本のメディアに触れているだけだと結局西欧的な価値観を知らず知らず身に着けることになる。歴史認識などは特に要注意で、一度頭に入ってしまうと容易に修正が利かない。事実と歴史は違う。歴史は解釈である。意図的にねじ曲げられたものでなくてもどこに立つかだけで違う見え方をするものだ。本書の終章は、筆者自身の体験が語られている。戦争中、キリスト教徒であるということで、経験した出来事、牧師である父が沖縄出身者だと言った時に教会の礼拝後の団欒の空気が凍り付いたこと。玉音放送があった日、子どもだった筆者に朝鮮人が「お前等日本人は負けたんやぞ、今までさんざんえばりくさってばかにしよって」と怒鳴られたこと。筆者の生い立ちと、本書の視点はある意味必然であると思わされた。