志賀直哉はなぜ名文か

志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語 (祥伝社新書)

志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語 (祥伝社新書)

 筆者の山口翼『日本語大シソーラス』を編纂した人ですが、もともと大学では統計・計量経済を学んだそうです。文学畑のアプローチではないことがかえって新鮮な切り口を提供しています。シソーラスとは、類語辞典で、英米では家庭に一冊あると言われるくらい広く使われている辞書だそうです。意味別に並んだ文例を参照して手紙などを書くとき使うそうです。日本語にはそういうものがなかったため、筆者はそれを自分で作ることにしたとか。辞書を頭から終わりまで読んで一語一語分類していく気の遠くなるような作業をしたり、有名な作家の文例を採集していったといいます。そういう作業の中で志賀直哉がなぜ名文と言われるのかを感覚的にではなく、技巧として見える形にしてくれたのが本書です。
 具体的な例を挙げて説明した方がわかりやすい。
 朝は早く目が覚めた。覚めると直ぐ私の頭には前夜の事が飛びついて来た。(不幸なる恋の話)
 心の動きを生き生きと表現する技法。
 次は筆者が「畳み込み」という造語で説明している技法。これが一番面白い。
 天気さえよければ柳堂は毎日その藤棚の下で半日を暮した。殻が散ると直ぐそれは花だ。がさつ者の熊蜂が終日騒ぎ廻った。(矢島柳堂)
 「殻が散ると直ぐそれは花だ」で「それ」が指しているものは文章中にない。しかし読者は目の前に春の景色の勢いを感じることができる。なるほどと思います。もう一つ例文。
 直子は首だけ其方に向け、手を差し延べて、産着のふくれ上った肩を指で押し下げるようにして見て居た。其眼が如何にも穏やかで、そしてそれは如何にも、もう母親だった。(暗夜行路)
 「其眼が〜もう母親だった」は文法的には破格である。しかし読者は何の違和感も感じずに幼子をいかにも母親らしい慈愛の眼で見ている様子が眼前に浮かぶ。
 達人とはやはり達人とは見えないところが達人であるという見本のような例文。
 病気は奥吉野の宿屋もない所で、営林署の不完全な山小屋を借り、男を雇って炊事をさせ、十日余り仕事をしている内に、或日、急に寒い日が来て風邪を引き込んだ、それが因だった。(淋しき生涯)
 最後の「それが」が前の文節全体を受けている。これを英語で書こうとすると関係代名詞を多用して複雑に書かなければならないが、日本語は句点で順番につないでいける。志賀直哉は日本語の可能性を使えるだけ使い切っていると筆者は指摘しているが、納得です。
 他にもさまざまな技法が紹介されていますが、筆者は「だから志賀直哉は名文だ」と言っているわけではないところがミソだと思います。分析できないものがそこにはあるからです。推敲を繰り返したであろう、ゆっくり書いた作品の良さはある程度この技法などを当てはめて「説明」できるが、早書きしてこれといった技法が使われていない名文も多い。これは文芸だけでなく芸術全般に言えることだと思いますが、高度な技術は必要だけれど、名作には最終的には説明できない何かがあるのではないでしょうか。もしそういうものがないのであるなら、技法を身につければ誰でも名作を生み出せるはずですが、そういう風にはいかないのです。作者その人が「滲み出る」という使い古された、曖昧で非科学的な、しかしかなり的確な表現でしか言い表せないものが、そしてそれを感知する見る側の「心」があるという平凡な結論で感想文を閉じることとします。