自分の意見を持つこと。

先生が教えてくれた「倫理」

先生が教えてくれた「倫理」

 本書は倫理の副教材として、高校生に読まれることを想定している本ですが、大人こそ読んで面白い本だと思います。高等学校で長く教鞭を執ってきた筆者の講義を元にした文体のため、とても読みやすい本です。「源流思想」という副題がついているとおり、古代ギリシャユダヤ教キリスト教イスラム教、古代インド、仏教、古代中国と人類の最も古い叡智について扱っています。
 多くの宗教を扱っていますが、筆者は倫理の面から取りあげているので、人として生きていくことの意味に重点をおいて語っています。
 面白くて一気に読んでしまいました。本書の面白さは、正統的な解釈を挙げつつも、かなり独自の解釈を提示しているところです。筆者がその人の思想についてどう読み取ったかを恐れることなく発表するのは勇気のいることだと思います。教科書的な通り一遍の解釈でいいところを(何せ教科書なんですから)、あえて踏み込んで語っている。そこが一番面白いです。学校の授業でも教科書に書いていることなどは面白くない。教科書に書いていない部分、その授業者にしか語り得ないその人の読み、語りが一番面白いのです。
 自分の思想を殺されても変えなかった人について語りながら、教科書的な語りに終始するなら、本当の意味で思想を語ったことにはならないでしょう。「論語読みの論語知らず」です。いつの時代も、自分の言葉で語るものは孤独です。なぜなら、自分にしか語り得ないことを誰にも依拠せず語るからです。これは下手をすると独りよがり、ただの愚痴になりかねません。その語りが力を帯びてくるがどうかは、そこに他者に対する思いやり、愛があるかどうかではないかと思います。既製の価値観に従って無難な言葉を述べるよりも、痛みを伴うことをあえて世のため人のために語る勇気を持つ、それは批判者としての疎外感をまぬかれないでしょう。しかしそうせずにはいられない人が過去にも現在にもいる。人間が堕落しながらも、何度でも正道に戻ってこられるのは、その時々にそういう人がいるからだと思います。