講演録

日本キリスト教主義学校職員組合連合第59回定期大会、兵庫県立舞子高等学校環境防災科の諏訪清二先生の講演「二つの災害を通して考える」メモ
避難訓練
 時間・コースが決まっていて、生徒・児童は教師から「急げ」と怒られ、「遅い」と怒られるだけの行事。
〈理科教育〉
 高等学校の地学はもはや絶滅危惧種である。地球のことがわかっていない。地球の構造は理科で少し教えるが、地震の詳しいメカニズムは教えていない。
阪神・淡路大震災の火災〉 
 兵庫県の消防は10件同時に火災が起きても対応できる優秀な能力を持っていたのに、全く対応できなかった。水道が停まってしまった。避難訓練通りに机の下に潜っても意味がなかった。家具や家の下敷きになってしまった。
 そこでは市民が市民を救助した。今、国は「自助」「共助」「公助」と言っているが、自助(自分の命は自分で守る)はできない人もいる。「自助」+「共助」=「自分たちの命は自分たちで守る」と考えたい。
〈備えの防災教育へ〉
 直下型の地震は家が壊れて潰れてしまう。東日本大震災では地震で家はあまり倒れなかったが、津波で流されてしまった。二つの災害には自ずから備えの内容も違う。首都圏に来ると言われている地震は、直下型で家が潰れ、その上に津波が襲ってくると言われている。
〈新たな防災教育〉
 「PTSD」という言葉は阪神・淡路大震災以降に日本に広まった。新たな防災教育にはそういう視点も必要。
・心のケア
・被災者の作文を読む
・命の教育
 子どもたち自身が発見していくような授業をする。防災マップ作りも、危険な箇所を指摘してそれを貼っておくというのではなく、楽しい場所、大切な場所などを見つけていく。それが命や復興を考えることになる。大人目線で一見復興したように見えても、区画整理されてかつてあった路地や遊び場が消滅したり、空き地になって帰ってこなかった人もいる。そういうところに自ら気がついていく。復興後に立てられたビルが空き家だらけになっていたり、裏通りがシャッター通りになっていたりする。ビルの賃料が高くて入れないのであり、街に住んでいた人がいなくなってしまって商店街が立ちゆかなくなっていたりする。そういうことはひと目見ただけではわからない。
 被災した家族の大切にしていたあさがおを毎年咲かせる授業をしている学校がある。あさがおの種をわけていろいろなところで咲かせている。花を育てて咲かせるという行為を通して、象徴的に命の大切さ、つながりを学んでいく。こういったことが防災につながる。
 人は普段「安全バイアス」の中で生きている。自分は絶対に被災しない。自分の住んでいるところは安全だと思って生きている。それは大切なことだが、防災を考える上では邪魔になる。自分の地域は「未災地」であるという発想がいる。防災は、「こんな恐ろしいことが起こるから備えよ」という脅しの防災教育では広まらない。防災+αが必要。楽しいこと、子どもの得意なことを加える。そうして自分で考えて行う。顔合わせ・人合わせ・心合わせが大切。災害に備えることで一番大切なことは仲良くなっておくことだ。
 自然に対する恩恵ばかりが強調されてきたが、脅威も知らなければならない。川遊びなどの時にその両方を教える。それが防災教育になる。楽しく学べる。机に座ってお話しを聞くだけでは定着しない。
岩手県釜石市鵜住居の事例〉
 避難訓練でいつも中学生が小学生の手をひいて高台に逃げる訓練をしていた。地震の時、先生が3階へ逃げるように小学生に指示したが、中学生は一斉に校舎外へ逃げ、高台へ走った。小学生はそれを見て外へ走り、大人たちも走って逃げた。それで助かった。指定避難所に避難した人は亡くなった。この学校では校長先生がかつて被災しており、建物は崩れるはずだと考え、高台へ避難する訓練をしていたのだった。被災者の経験はこのように語り継がれてこそ次に生かせる。結果を見て、マニュアルが悪い、教師が悪い、管理者が悪いとバッシングしても意味がない。次に生かせない。
〈未来の防災教育〉
臨機応変の対応する力
・事前に想定以上を考える力(想定を信じない力)
 Survivorとなるための防災教育(ハザードを知る、耐震・家具の固定、水・食料の確保、適切な避難。危機回避のための判断力など)とSupporterとなるための防災教育(救出・救助、搬送、ケガの手当て、心肺蘇生、AED、炊き出し、避難所運営、家の片付け、話し相手、遊び相手、心のケア、救援物資、募金など)が大切である。
 対極には何でも教師に聞く生徒を作る教育がある。課題をこなして○×をつけ、何で×になったか考えずに提出された課題に提出したということだけを求める教育がなされていないか。
 災害はハザード(自然の脅威)と社会背景(防災力)と災害対応(救出・救助、怪我の手当、給食・給水、避難所の設置など)の重なり合いで起きる。ハザードからは離れるしかないが、日本に住んでいる以上限界がある。社会背景はハード(防波堤・耐震補強など)の強化とソフト(隣近所のつながりを普段から作っておくこと)の強化がある。災害対応は避難訓練、備えの工夫、人とのつながりなどで高められる。この考え方は『学力を育てる』(岩波新書・志水宏吉)による。
 この三つを基本としてさらに「語り継ぎ」が第四の要素としてある。先の鵜住居の事例のように前の被災経験を語り継ぐことで次の災害への備えとすることができる。
〈環境防災科の特徴的な教育〉
 本気の大人と出会う。消防士との訓練実習など。
 「夢と防災」という考え方。消防士・先生などは分かりやすい。ネイリストになりたい生徒は、被災者にネイルをしながら話を聞いてあげたい。散髪屋になりたい生徒は防災の話をしたい。日常に防災がある。雑誌でも防災だけの雑誌などは誰も読まない。趣味の雑誌の一ページに防災のコラムなどがあれば(しかもその雑誌の内容に合った人物などの)、読むだろう。
〈学校の耐震補強〉
 校長・教頭・事務長だけでなく、教師・生徒・地域の人と一緒に考える。被災者への聞き取りなどを行って被災マップを作っていく。
〈ボランティアの現場で〉
生徒の心のケア・夜のミーティングの大切さ。
・無気力…自分には何もできない。いくらやっても切りがない。
・落ち込み……何の力にもなれない。
・過覚醒……はしゃぎまわる。自分はすごいことをしているという興奮。
これらを夜のミーティングでお互いに気持ちをシェアしながらリラックスしていく。その日にあったこと感じたことを話し合う。身体がこわばったりしているので、ストレッチをしたりする。
 被災者の方にお話しを聞いたら「ありがとう」と言いなさい、見ず知らずの君たちにまるで身内の孫にでも話すようにつらい話をしてくれているのだから。また聞いたことは親や友達に話しますと言いなさい。
 ボランティアの最中にご遺体を発見してしまった生徒に、側にいられなかった諏訪先生はメールを送った。生徒にポジティブなメッセージを送った。今まで発見されなかった人を発見して遺族の方は喜んでいるはずだ、君はいいことをした。寝るときに暗くて怖かったら電気を消さなくていい。友だちと一緒に寝たい人は寝てもいい。それをみんなで確認するようにと。
 千羽鶴やメッセージなどを全国の学校などから諏訪先生のところに送ってくる。被災地へ届けるようにしているが、被災地では喜んでくれるが、たくさん来すぎて貼るところもない。捨てるわけにもいかない。困っている場合もある。ある学校からは「被災地からお礼状が来ない」と諏訪先生に電話があったとか。被災地への理解が届いていない。
 タレントがたくさん被災地に来たが、テレビカメラを持たずに来たのは一人だけだった。番組を作りに来ている。炊き出しなどをして帰るが、誰も後片付けをしない。結局被災地の人たちが後片付けをしている。
〈継続性の大切さ〉
 生徒がテレビを見ていて、東北で地震のニュースがあると、すぐに電話をして安否を確認していた。自分から連絡して休みに泊まりにいき、ご飯をいっぱい食べさせてもらった。こうしたことは教師が生徒に指示したことではない。自分たちで考えて行動していること。あちらでも「うちの孫」とかわいがられている。
〈学外・海外への活動〉
 小学校への防災出前授業。生徒が自分たちで考え、火山の仕組みなどを教えたりしている。
 ネパールへの交流事業。識字率の低い現地の人たちに鉄筋入りの家の耐震性を教えるなどの活動。
〈災害が起こった時の学校〉
 阪神・淡路大震災の時には、教師が早朝にやっとのことで学校にたどり着くと、カギは壊され、教室は避難民でいっぱいだった。
 もし、自分の学校だけ、自分の学校の生徒だけを守る発想であれば、ある程度復校が進んで落ち着いた段階で、その学校は地域から出ていってくれと言われるだろう。災害時には学校には多くの被災者が入ってくることを前提に考えなくてはならない。生徒は自分たちの食などは後回しにして一生懸命被災者を助けるだろう。
 学校は早く再開できる方がよい。しかしそれは勉強のためではなく、「生きててよかった」とお互いに確認するためである。
 以上のメモは講演のメモをもとに、『高校生、災害と向き合う 舞子高等学校環境防災科の10年』諏訪清二 著 岩波ジュニア新書を参考にしています。本書にはミーティング時の実際のやりとりなども詳しく書かれています。また、ボランティアに行く場合の必要事項(心構えも含めた準備)が書かれており、多くの人に読んでもらいたい書です。

高校生、災害と向き合う――舞子高等学校環境防災科の10年 (岩波ジュニア新書)

高校生、災害と向き合う――舞子高等学校環境防災科の10年 (岩波ジュニア新書)