神戸YMCA125周年記念講演

 元東京女子大学学長の湊晶子氏の講演「真の国際人とは−私を生きる・共に生きる」を聞きました。
 国際人という日本語は英訳できない。インターナショナル・マンという言い方はない。これは深刻なことだ。(概念としてグローバルスタンダードでないという意味だろうか)
 宇宙飛行士の毛利氏は「地球に国境はなかった」と言ったが、深い言葉だ。勝手に引かれた国境の下に、バラバラにされた民族分布の地図がある。国境のために少数民族にされてしまったことで起こる問題が頻発している。
 アメリカに留学した頃、マーティン・ルーサー・キング公民権運動をしている時期だった。黒人の友人と一緒にレストランに入ろうとしたら、友人だけ断られた。日本語を紹介する学習をしたいというその友人に、色鉛筆の色を説明していたときに「はだいろ」の鉛筆を「skin color」と説明したところ、友人が黒い肌の上にその鉛筆を置いた。衝撃を受け、30年間ぺんてるに手紙を書き続けた。1986年に「ペールピンク」という名称に変更された。
 いつも一人称で語れるだろうか。森有正は「日本文化は二人称文化である」と言った。「あなたがそうおっしゃるならわたしも」という言い方になる。
 真の国際人は、「ゆるぎない自己確立ができて、隣人と共に生きることができる人」である。前半を新渡戸稲造、後半を賀川豊彦の思想から説明したい。
 人間教育と人格教育(リベラルアーツ)はどう違うか。「人の間」だけで思考していては、うぬぼれが生じる。縦軸として神が必要である。神と自分との関係の中に一人称の自己が確立される。to doよりもto be(存在すること)が大切である。to beとは一人称で語れる自己のことだ。新渡戸稲造は「Personality(人格)ないところにはResponsibility(責任)は生じない」と言ったが、これは私の座右の銘だ。ぶれない個がなければ責任を取ることはできない。集団があっても、それぞれの個が人格として存在していなければ、争いが生じ、分裂してしまう。ぶれない個の確立は、現代社会の使命である。
 賀川豊彦は生まれてすぐに父母と死別した。どうして親に愛されなかった賀川が献身的に人を愛したのか。宣教師の全人的な愛があったからである。賀川は人格と人格のふれあいを大切にしながら、人間の変革を求めた。ゆるぎない人格形成をして「わたし」を生きることが大切。
 国際社会で日本の役割が期待されている。それは二元論の思考ではない、第三の道を提案できる国だからだ。二元論の世界はyes,noしかない。「間を置く」という語は英語に翻訳できない。「じゃんけん」は欧米にはない。toss the coinである。表か裏か、勝ちか負けか。じゃんけんは勝ちも負けもあいこもある。表か裏かは早く結論が出る。じゃんけんは時間がかかるが、結論は出る。新渡戸稲造が言うところの「妥協ではなく寛容」の精神が今、国際社会に求められている。
 東日本大震災で暴動が起きなかったことを世界は驚いたが、寛容の国日本の精神だ。アインシュタインは1922年に来日した時、「世界は進むだけ進み、その間に幾度も幾度も闘争を繰り返すであろう。そして、その闘争に疲れ果てる時がくる。その時、世界人類は平和を求め、その為の盟主が必要になる。(中略)我々は神に感謝する。天が我々人類に日本という国を与えたもうたことを」と予言している。その予言は実現しつつあるのではないか。
 アメリカは1956年に私が初めて留学した頃、自信に満ちあふれていた。講義中にイスラム教徒が急に祈りを始めても、教授は気にせずに授業をしていた。9.11以降、アメリカは「わたし」にこだわりすぎて、他者を受け入れられなくなっている。妥協と寛容は違う。まず一度てのひらに載せる余裕をもってほしい。
 マザー・テレサが息を引き取る寸前の老人を抱きかかえていた。老人はコーランを呟いていた。マザー・テレサコーランの続きを唱えてあげ、老人は息を引き取った。ここに真の平和がある。自分はキリスト教で自己形成した、しかし、コーランを焼いてはいけない。他と手を結べる余地を残しておかねばならない。
 日本は女性の社会参画率の低さが国際社会でとても遅れている。女性たちには積極的に責任を引き受けて欲しい。私がベビーシッターに子どもを預けて仕事に行ったら、大変な非難を浴びた。でもここでやめたら女性の道はないと思い、頑張ってきた。当時は法的な整備も何もなかった。社会を変革するくらいの使命感をもって社会に出て行って欲しい。
 平和はどこかからやってくるのではない。どのような状態になってもぶれない私、責任をとれる私になる。私が変われば世界は変わるのだ。あなたが変わってくれたら、ではなく、私が変わる。世の中に悩みのない人などいない。聖書に「喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい」とあるが、これは順番が大切なのだ。葬式に行って泣く人とともに泣くのはたやすい。人が良い状態になった時に、心からともに喜べるか。心に少しでも妬みや怒りやが湧き起こらないか、真に喜べるかどうかが、私にとっての自立のバロメータだ。
 カインはアベルを殺した。神はカインに「汝自身の罪をおさめよ」と言っている。まず、自分をおさめないといけない。鏡を見て、自分の顔を見ないといけない。「愛することは赦すこと、赦すことは赦されること、赦されることは救われること」だ。
 アメリカの大学で悩み事があって暗い顔をしてキャンパスを歩いていた時に、H.ナウマン氏に「Crush grapes can produce delicious wine.(ぶどうはつぶされておいしいぶどう酒になる。」と言われた。何度も何度もcrushされて、人は人格を形成していくのだ。聖書に「苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を生む」とあるが、「練達」とは英語で「Charactor」と訳される。これは「人格」の意味だ。
 赤く色づいても紅葉、黄色く色づいても紅葉。自分色に色づいてほしい。

卒業したあなたへ 入学したあなたへ?激動の時代を拓く人間力を!

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 会場で売っていたので、思わず買いました。東日本大震災の被災学生の奨学金に充てられるそうです。
 内容は湊晶子氏が卒業生に当てた祝辞と入学生に当てた祝辞、大学院生に当てたものを掲載しています。今回の講演でお話ししたこととほぼ同じ事柄が語られています。思うに、人が生涯を通じて追い求める理想とはそんなに多岐に渡るものではないのでしょう。湊晶子氏の新渡戸稲造の思想への感動、東京女子大学で学んだリベラルアーツ、そこが出発点で終着点であることがよくわかります。こんな大学で学べるのは、すばらしいことです。僕は無理なんだが。