職業としての小説家

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 村上春樹が文壇から遠ざかった、特異な小説家として日本の文壇や批評家の一部からひどい扱いを受けていたというのは有名な話です。私自身は村上春樹の作品を一貫して好きでしたし、今でも好きな上、いわゆる文芸雑誌のようなものを読まないので、具体的にそうした酷評を読んだことはありません。今回のエッセイでは珍しくそうしたことについてかなりの紙幅を割いて語っています。そのいくつかで心に残った部分を紹介します。

 僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは「何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ」ということです。(略)
 リック・ネルソンの後年の歌に『ガーデン・パーティー』というのがあって、その中にこんな内容の歌詞があります。
 もし全員を楽しませられないのなら
 自分で楽しむしかないじゃないか
 この気持ちは僕にもよくわかります。全員を喜ばせようとしたって、そんなことは現実的に不可能ですし、こっちが空回りして消耗するだけです。それなら開き直って、自分がいちばん楽しめることを、自分が「こうしたい」と思うことを、自分がやりたいようにやっていけばいいわけです。(略)
 もちろん自分が楽しめれば、結果的にそれが芸術作品として優れているということにはなりません。言うまでもなく、そこには峻烈な自己相対化が必要とされます。最低限の支持者を獲得することも、プロとしての必須条件になります。

 もう一箇所紹介します。

 それは(村上春樹への公正さを欠いた批判)今から振り返ってみれば、同時代日本文学関係者(作家・批評家・編集者など)の感じていたフラストレーションの発散のようなものではなかったのかという気がします。いわゆるメインストリーム(主流派純文学)が存在感や影響力を急速に失ってきたことに対する「文芸業界」内での不満・鬱屈です。つまりそこではじわじわとパラダイムの転換がおこなわれていたわけです。しかし業界関係者にしてみれば、そういうメルトダウン的な文化状況が嘆かわしかったし、また我慢ならなかったのでしょう。そして彼らの多くは僕の書いているものを、あるいは僕という存在そのものを、「本来あるべき状況を損ない、破壊した元凶のひとつ」として、白血球がウィルスを攻撃するみたいに排除しようとしたのではないか−そういう気がします。僕自身は「僕ごときに損なわれるものなら、損なわれる方にむしろ問題があるだろう」と考えていましたが。(略)考えてみれば、日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になったわけですから、逆に貶されてラッキーだったと言えるかもしれません。どんな世界でもそうですが、「褒め殺し」くらい怖いものはありません。

 今回のエッセイは、題名にあるとおり小説家という職業人について村上春樹の個人史をかなり詳しく赤裸々に語っている文章です。小説家というのは一般的な職業とは言い難いし、中でも村上春樹は小説家の中でも特異な位置にいるようです。しかしながら、職業人であることについて書いている部分にやはり仕事をしている私もとても共感するところがありました。
 自分の楽しいと思うことを自分のしたいようにするというのは本当に難しいことだと思います。村上春樹が小説家という個人で創作する仕事だから簡単だとはいかないでしょう。実際、本を書いても売ってくれる会社があり、買ってくれる読者がいるわけで、そういう人たちを獲得しながら仕事をするというのは、他の職業でも同じだと思います。いや組織に属している人よりも何倍も大変かもしれません。そういう中でここまでの位置を築き上げてきた村上春樹のタフさにはやはり学ぶべきところが多いです。