影の現象学

影の現象学 (講談社学術文庫)

影の現象学 (講談社学術文庫)

 本書は1969、1970年の二年間にわたって「心理療法における悪の問題」という京都大学での講義がもとになっている。1976年に思索社より出版され、1987年に講談社学術文庫として新装された。心理学の専門家ではないので、ここに書かれていることが現在どれくらい有効なのかは分からないが、素人が読むかぎりでは全く内容は古びていない。特に本書の題名ににもなっている「影」についての考察は人間を考える上での普遍的な側面を扱っていると思われるため、常に立ち帰って自分を問い直したく考えだと思う。 
 影は自分が生きてこなかった半身である。これが対人関係の中で出てくるとき、自分の影の相手への投影という現象として現れてくることがある。どうしても好きになれない相手の気に入らない部分が実は自分の中の影が相手に投影されている。だからその人自身を見ているというより、自分を見ているといってもいい。その自分が好きになれない人が、他の人とはうまくやっている、自分の好きな他の人とも仲良くやっている。自分には合わないというような時はいよいよ自分の影の投影を疑った方がよさそうである。
 この考え方はわりあい今は受け入れられているのではないだろうか。ちょっとした自己啓発本などにも載っていそうである。河合隼雄の言っていたことが、つまりユングの説が浸透しているというべきかもしれない。
 ただ、影についての話はこうした自分の影といえるものとは他に集合的無意識のレベルの影がある。集合的無意識は神話に出てくる恐ろしい怪物や、自然災害など、人の力では対抗し得ない圧倒的な力であり、洋の東西を問わず伝説や昔話の形で語られてきたものの中に姿を現している。これらは破壊であるとともに創造であるような、逆説的な存在であり、うまく関係を持つことができれば創造的な力を私たちに与えてくれるが、自我が影に乗っ取られるような状況になると破滅が待っているという恐ろしいものである。その辺のことについては数多くの物語や神話、映画や小説、臨床での経験を紹介しながら河合隼雄が語っている。河合隼雄は昔話と深層心理についてもよく語っているが、こうした語り継がれてきたお話の中に人間の真実が語られているというのは本当に面白いことであるし、それがある国、地域に限定されずに世界中に共通するお話として語られているというのは神秘的でさえある。宗教も一つの物語であると思うが、どんな宗教にも他宗教と共通する、言語化できない部分、比喩や物語でしか語れない部分があるというのは、同じことを指しているのだと思う。心理学という学問が発見したかのように語っていることが、おそらく古代においては自明のこととして共有されていたのだろう。人間が何事も論理で片づけようとする中でそうした叡智が忘れられていったのであろう。
 本書にはさまざまな心の病気に罹った人が紹介されており、影との関係において論じられている。もちろん守秘義務があるので様々な事例をもとに要素を混ぜたりしているのだろう。筆者もあとがきで書いているように、職業上クライエントの情報を漏らすわけにはいかないので、こういう書き方になったが、分かりにくくなっているだろうと断っている。臨床の現場で出会うことは私たちからみると神秘のような不思議なことが結構起こるらしい。確かに本書を読んでいると「見ないで信じる」という気分になるところもあり、難しいところだが、そうは言っても人間相手の仕事をしている私には河合隼雄の言っていることは真実であると直感的に分かる部分がある。
 たとえば、本書に紹介されているこのような話。とても人望があって紳士的で周囲の人たちに人格者と思われている人の子どもが学校に行くことができない、とかいうことがある。そういう時は、その人格者である父親の代わりにその人の影を近しいところの弱い者が負わされる場合がある。私はこのようなことがあり得るということを認める。しかしまったく受け入れられない人もいるだろう。人間には誰しも影の部分がある。それを抑圧してしまうと思わぬ所で噴出してその人を破滅に導いたりする。そうではなく、影を自己に統合していくこと、それが成長につながるのである。清濁併せ飲むふところの大きな大人になっていくことが人格の円満な発展のためには必要である。
 文系学部が軽視され、実学指向が強まる今日。コミュニケーション力が重視されると言いつつも、コミュニケーションがとれない人が増えていると言われる今日。世の中が硬直した扁平な正しさに蔽われつつあるように見える今日。本書は今こそ読まれるべき本であろうと思う。