銃・病原菌・鉄

 ピュリッツァー賞を受賞した名著ということでいつか読もうと思いながらなかなか読めなかった『銃・病原菌・鉄』を読了しました。情報量の多い、重厚な書物ですが、決して難解ではなく読み物として読んでいける本です。筆者のジャレド・ダイアモンドは、分子生理学・進化生物学を専門とし、分子生物学・遺伝子学・生物地理学・環境地理学・考古学・人類学・言語学に詳しいという知の巨人です。ダイヤモンド氏はヤリというニューギニア人に、欧米人はさまざまな物資を作りだしてニューギニアに持ってきたが、ニューギニア人たちはそうした物資は何も作り出さなかった、その差はどこから生まれたのかという疑問をぶつけられ、答えることができなかった。本書の構想はヤリの素朴な疑問に答えるために生まれたのです。
 内容を簡単に紹介することは困難なので、私が面白いと思ったことだけ書きます。文明の発達は食料生産の早さと規模に比例し、大規模な食料生産が発生したかどうかは、地形や気候、栽培に適した種が存在していたかなど、偶然に依存する。大規模な食料生産が可能になるためには、家畜化できる大型の動物が必要だが、家畜化できる野生の大型動物がその地域にいるかどうかは偶然に依存する。大規模な食料生産を行い、定住生活が長くなると疫病が発生する。動物や人間の排泄物などを肥料にすることなども原因となる。そのような疫病にさらされた人々には免疫力がつく。南北アメリカにヨーロッパ人がやってきた時も、オーストラリアにヨーロッパ人がやってきた時も、武器による虐殺よりも疫病による殺害の方がはるかに大きかった。東西方向に長いユーラシア大陸では文化の伝播は比較的容易に行われたが、南北方向に長いアフリカやアメリカでは、文化の伝播は非常に遅いか、あるいは伝わらなかったりして、鉄器や文字、農業技術などが広く発達しなかった。
 ここで私が書いたことは本書の中で繰り返し論じられ、その証拠が示されます。これだけでもかなり面白いのですが、私が一番面白いと思ったのは、同じユーラシア大陸で分明として一歩先んじていた中国が世界を支配することにならず、ヨーロッパが世界を支配することになったのかという疑問です。筆者はこの疑問に対して、中国は全土を支配する政権が存在したのに対し、ヨーロッパではついにそのような政権は現れなかったためであると結論づけています。
 どういうことかというと、時々歴史上には進歩を止めてしまうような現象が起きるからです。筆者は日本の銃を取り上げています。日本では戦国時代が終わると、銃を放棄してしまい、その発達が止まってしまう。鎖国によって外から新しい技術を入れることもなくなってしまう。それは江戸幕府の政策によるものでした。中国でも15世紀初頭に、コロンブスアメリカに到着するより前に、バスコ・ダ・ガマ喜望峰を回るよりも前に、アフリカの東海岸まで大船団を派遣しています。このままこうした中国の「大航海時代」が続けば、七つの海を支配していたのは中国だったのではないか。ところが、中国国内の政治的な争いの結果、船の派遣は中止、造船所自体も壊され、技術も失われてしまいました。ロンドンでも電灯が現れたとき、ガス灯を使い、電灯を禁ずる法律が1880年代に出されているが、他のヨーロッパの国々で電灯は普及していきました。中国は強力な統一政権があったために、一度禁令が下されると永久に失われてしまうのです。他にも水力紡績機の開発を禁じて14世紀にはじまりかけた産業革命を後退させています。1960年代から70年代の文化大革命では5年間も国中の学校が閉鎖され、知識人が農村に送られています。
 今行われている決定が人類史レベルで進歩なのか退化なのかはその時に判断不可能なこともあるかもしれません。そういう意味ではヨーロッパが多様であったことが世界の支配者としての地位を作りだしたと言えますし、アメリカがさまざまな問題を抱えながらも、今なお世界の先端に位置しているのは、その多様性ゆえと考えられるのではないでしょうか。