インターネット・ゲーム依存症

読んでいるうちに恐ろしくなってくる本です。しかもこれがフィクションではないのですから。
 DTI(拡散テンソル画像)という方法で脳の画像分析ができるようになって、脳の神経繊維が詳細に観察できるようになった。ゲーム依存に陥っている患者の脳は麻薬中毒患者の脳とかわらないダメージを受けていたことが判明した。医師や学校の教師などの間ではゲームへの耽溺と問題行動の間には何らかの関係があると疑われていたが、それが科学的に立証され、その内容は専門家も驚くほど予想以上にひどいものだった。2013年にはアメリカ精神医学会は新しい診断マニュアルDSM−5において、インターネット・ゲーム依存症をインターネット・ゲーム障害として診断基準を定めた。また、日本よりもインターネット・ゲーム依存の深刻だった韓国・中国では徹底した対策を行っている。中国では全国に複数ある隔離施設で「ゲーム断ち」をして軍隊式の(というか軍服を着て完全に軍隊の)生活を送ることで回復を図るとともに、国が管理をしてインターネットへのアクセスを(特に低年齢層の)制限している。中国がここまでできるのは、一党独裁体制があるからだが、筆者によれば、中国はかつて阿片によって亡国の危機に瀕した経験があるからだという。今やインターネット依存は「デジタル・ヘロイン」と呼ばれている。韓国ではやはり国レベルで低年齢層のアクセスを制限している。日本では公レベルでの規制はない。そもそもそれほどの危機意識が存在しない。ゲームにはまってしまってゲーム以外のことを何もしなくなってしまった子どもを持った親はどこに相談して良いかわからない。筆者のような外来を設けている、しかも依存症の専門医は少ない。
 本書は至れり尽くせりの本である。知りたいことはすべて書いてある。ゲームの種類やどうしてのめり込んでしまうのか、どうやって回復するかなど、詳しく書かれている。私自身の経験では、小学校高学年でファミリーコンピューター、そしてディスクシステムスーパーファミコンくらいまでであり、中学校時代に熱中していたが、高校受験でとぎれて、高校生活は忙しくてしなかった。またむしろ読書中毒に陥っていたので、ゲームに時間を割けなかった。ドラゴンクエストシリーズファイナルファンタジーシリーズは途中でやたら長くなって映像も凝るようになってきて(特にPS時代に入ってから)、かえって冷めてしまった。画面が雑である方が自分でいろいろ想像できて楽しかったのだ。リアルに近づきすぎて面白くなくなった。「三国志」のような画面が全然動かず、パラメーターだけが変わるようなゲームが好きだった。反射神経が鈍いため、シューティングゲームにはさほどはまらなかった。長々と書いたのは、私がラッキーだったということを言いたいが為である。今子ども達が与えられているゲームは私がしていたものとは全然違う。ほとんど石器時代と言ってもいいくらいだ。この時代に生まれていたら、ゲーム依存症になっていたかもしれない。現在、依存症として最も問題になっているゲームはオンラインゲームである。RPGとして様々な課題をクエストしていく点は私がしていたドラクエと変わらないが、実際の人間のアバター(分身)同士でコミュニケーションをとりながらチームでクエストに参加していくのである。子どもから大人まで多くの依存症患者を生み出している。筆者は報酬系の歪みという言葉で説明している。詳細な説明は省くが、ゲームをすることによって得られる満足などがなくなっても、ゲームをしていないと落ち着かない状態に陥ってしまうという。もう楽しくはないのにゲームをし続けないといけないわけだ。またはまっていく人は現実世界で得られない自己肯定感や自己実現を満たしてくれる空間としてヴァーチャル空間にはまり、依存に行き着いてしまうという。共に戦う戦友、自分が必要とされ、能力を上げていく喜び、そうしたものを体験してしまうと、現実の方が色あせてくる。そしてこうしたゲームの入口になるのがスマートフォンなどのモバイル機器である。
 最終2章は予防・克服に関わる章だが、この部分はインターネット・ゲーム依存症に止まらない内容を含んでいる。つまり、親子関係の愛着や社会的な不適応の問題である。筆者は強調しているが、ゲーム依存を何とかしようというアプローチは必ず失敗すると指摘している。ゲーム依存という形で出てきている問題の根っこを治療していかなければならない。これはアルコール依存症ギャンブル依存症などとも同じであるという。虐待や不登校家庭内暴力などもすべてそうだろう。そうした表に出てきたものをきっかけとして、家族全員が変わらなければならない、そういうサインなのだ。克服の章では具体的な患者の症例を紹介していて興味深い。本人へのアプローチも大切だが、周囲の人間の患者への接し方がいかに大切かを教えてくれる。現実世界が本人にとって安心して暮らせる空間であり、やりなおせない世界でもないということを知れば、ネットの世界から脱出することもできる。今の世の中は本当に生きづらい過酷な世界だと思う。