永続敗戦論

 「あなたがすることもほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」(ガンジー)という言葉を本書で教えてもらった。勇気づけられる言葉だ。
 「永続敗戦」とは筆者が創造した言葉である。意味するところは日本が敗戦の事実に目を背けて来続けてきたという(筆者も言うように)目新しい考えではない。しかしこのタイミングでこういうことを言う若手(1977年生)が出てくるということは大切なことだ。安保闘争の時代を知っているような人たちの書いたものを読む若い人は今少ないだろう。革マルとか中核とか言われてもわからない。社会党議席の半分くらいを持っていた時代など想像することも困難だ(12/14の衆議院選では2議席だったか)。
 筆者が本書の中で、条約の条文をきちんと読んだ方がいいと言っているが、その通りだ。戦争で負けて今の日本の国がどのように成り立っているのかを規定している文章を見たことがないのに、あれこれ言うのは間違っている。まず基本文書は共有しましょうというのは真っ当な意見だと思う。たぶんほとんどの国会議員は読んでいないだろう。筆者が読み解いてみせる領土問題の章はそういう意味でわかりやすく、日本と中韓露との間で起こっているさまざまな意見の食い違いに根拠を与えてくれている。日本のメディアはさまざまな「島」の問題に相当の時間を割き、「専門家」や「識者」が解説しているが、ついぞ「協定」や「条約」の条文に何が書かれていて、どういう取り決めになっているかをちゃんと解説した番組を見たことがない。
 敗戦時の日本の政治的・地政学的立ち位置のおかげで武装解除・民主政策・経済発展が可能だったというのは本当に真っ当な見方で、これを否定することはできないと思う。しかし本書で指摘されていた、冷戦時代にアジアの諸国が強権的な軍事政権にならざるを得なかったという視点はなるほどと思った。それに関連して、日本の平和外交路線は基本的にアジアへの経済的な優位に支えられており、それが崩れてきた今、日本は進路を考えていかなければならない時期に来ている、というのはその通りである。