ショパン

亡命者ショパンの自伝です。筆者崔善愛(チェソンエ)さんは在日韓国人として指紋押捺拒否裁判を起こしたピアニストです。しかし本書では自分のことについては「おわりに」で少し触れているだけで、祖国ポーランドへの思いを抱きながらついに帰郷できなかったピアニスト、祖国で起きているロシアの圧政への抗議、革命の志士たちへの共感、国を奪われた者の悲哀さまざまな言葉にできない思いをアン学で表したピアニスト、そういうショパンを描いています。崔さんの人生がそこには重ねられているのだと思います。アメリカに留学した時に永住資格を剥奪され、「祖国」を失った崔さん。そもそも生まれ育った日本が「祖国」なのか、言葉も話せない、行ったこともない韓国が「祖国」なのかも定かではない自分の存在。書かれていなくても行間からショパンへの共感がにじみ出ています。
 「本来、無意識の中であふれだす思いを表す試みである表現活動が、よろこびではなくなってしまうことがあります。それは表現したい、あるいは表現すべき自分の感情を、そのまま表出することが許されず、自分にとって『うそ』である言葉や音楽を強制されたりする時です。自由な思いを口にすることが禁じられて、言いたくないスローガンを言わされたり、歌いたくない曲を歌うことを強制されたりすると、まるで声がつまったように、表現することが苦痛になります。だからこそ、芸術家、表現者は、自分を束縛するものに対して敏感になるのです」
 これは最終章末尾近くの言葉ですが、ショパンのことを語りながら、「日の丸・君が代」の式典での強制に反対し続けた崔さんの思い込められていると思います。君が代の伴奏を強制された音楽の教師の中には、胃から出血して入院した人もいます。そういうダメージが本当に身体に起こるのだということを信じられない人は、よほど芸術家・表現者からは遠い人と言えそうです。