心より心に伝ふる花

心より心に伝ふる花 (角川ソフィア文庫)

心より心に伝ふる花 (角川ソフィア文庫)

 

「役者の主張やナマな肉体は、中年以上の場合、どうも邪魔なものとして浮き上がってくるようだ。」
「中年の役者は、力量があればあるほど、その人間としての体臭のつよさのようなものに観客の反撥を買うおそれがある。」
「能、殊に夢幻能においては、演者はあの吹き抜けの舞台で、一人の生身の肉体であることを超越してそこに居たい……ただ立っているだけで一つの宇宙を象りうる存在感。どうやってそれを持つか。」
「自分の内部で充実し、集中しているたしかな力は、外へ向けては余分な誇示などせずにすむ。」
「演じることへのべたついた欲望を排除しえている声とからだ。」

 以上は本書から私が引用した部分である。読みながら気持ちが響いたところに傍線を引いたのだが、
見事に同じようなところに線を引いている。自分の今の問題意識がよくわかる。読書という行為が極めて個人的な行為でありながら、対話的な要素を含んでいることの証明であろうと思う。今年40歳となった私でなければ、この箇所を読むことはできなかっただろう。そういう意味では本書を手に取ったということも必然であると感じられてくる。本書は1979年に単行本として出版され、2008年に文庫になっていて、すでに絶版で古書店でなければ手に入りにくい。私が5歳以降であればいつでも読めたわけだが、今出会う必要があったのだろうかと思う。
 観世寿夫は現代の世阿弥とも称される能役者で、長らく忘れられていた世阿弥の著書を能役者の視点から読み直し、能という古典芸能を現代に甦らせた。世阿弥の著書は私もいくつか読み、とても面白いと思ったが、観世寿夫の「読み」を見ていると、世阿弥その人がすぐ近くで試行錯誤しつつ能に立ち向かっている様子が感じられてくる。同時に観世寿夫自身が悩み苦しみながら舞台に立っていることが伝わってくる気がした。
 私自身は教員として十数年教壇に立ってきたわけだが、本書には鋭く突きささってくる言葉がたくさん詰まっている。特に最近自分の関心事となっている声や身の置き方については学ぶことが多い。『風姿花伝』で「三十四五」の項で、「能を知る」ということがなければ、そしてこの頃にある程度の社会から認められることがなければ、四十以降は下り坂になるだけだという指摘があるが厳しい言葉だ。観世寿夫はこう言っている。「三十代半ばのこの時期、『能を知る』ことに開眼できるか。二十四、五の初心当時から、さまざまな演目と取り組み、多くの技術を身につけ、『時の花』を咲かせてきた演者にとって大きな一つの課題である。役者というものはつい、若さと美貌に執着したり、技術の達者さに溺れたがったりするものだ。体が利いたり技術に自信があったりすると、ともすれば必要以上にオーバーな動きになりやすい。若ければ、動けるだけ動いての熱演も魅力のうちだが、ある年齢以上の熱演は逆に観客をシラケさせかねない。そういう、『自分』と『役』と『観客』の三つのものの相応を見きわめ、体得する、それが『能を知る』ことに外ならないと思う。」また実際の体験として観世寿夫は面白いことを言っている。「たとえばこういうことがある。体調が悪いとか非常に暑いとかで、舞台の上でどうにも苦しくなってしまうことがある。どう演じようなどという余裕は全くなくなり、一分でも早く終わればよいと、フラフラになってやっと終わる。そんな時、意外にもいやにほめられたりするのだ。」稽古をしっかりと積んで、自意識を離れた時、「無心の位」に到達することがある。それは狙ってできるものではないのだろう。演じているという意識を観客に見せないだけでなく、自分自身にさえ見せない。そういう時に自然に浮かび上がってくる境地がある。こういうことは授業中でもまれにある。他の教員仲間に聞いてもやはりあるという。授業中に、急に考えてもいなかったことがふっと頭に浮かんで、それがとてもよいということがある。あるいは生徒の発言をきっかけとしてとてもよい説明や展開ができるということもある。これは狙ってできるものではないが、高度に集中してなおかつリラックスできていないと起こらない。また授業の準備が十分で自信を持っていないと起こらない。自信を持ちすぎて説明は流れるように上手にしていても、生徒がまったく乗ってこないということはよくある。これはナマの自分が「教えている」というような意識を持っている場合だと思う。自分がテキストそのものを面白がってその時初めて読むような気持ちで発見しつつ読んでいる時は授業の展開が多少不味くても授業はうまくいくものだ。授業がうまくいくというのは生徒が集中している、自分も集中しているという状態である。ただそれが一コマの授業の間中続くというのは稀である。一コマずっと続くような時は授業が大変短く感じられる。生徒にとっても教師にとっても。教師が一コマを長いと感じる時には生徒はもっと長いと感じているだろう。
 国語の教科書に載っているテキストは選び抜かれているだけあって力のある教材が多い。もちろんそうでないと感じるものもあるので、そういう教材を教科書だからという理由で無理にすると面白くない授業になってしまう。教師の性格や年齢や性別や人生観などさまざまな要因でその時、心が響く教材というのは決まってくるのだ。教科書以外からでも自分がよいと思った文章を教材として使うのがよい。教材をどう読むかということに教師の個性が出る。恣意的な読みを排除しようと思いすぎると無味乾燥な読みになり、面白くはない。特に文学作品を読む場合は客観と主観のぎりぎりのせめぎ合いの部分で読んでいかないと面白くない。読書は情報処理ではないのだ。ただし、ここからが私が今抱えている問題だと思うが、ある程度の力量みたいなものが経験の蓄積によって出て来た時に、自分の読みというのが強すぎてはいけないということである。もっと若い頃は必死で読み込み、でも浅い読みしかできずに四苦八苦して授業に臨んでいたが、今はそうではない部分がある。しかし読みが深ければよいというわけではない。深ければ広さはなくなってしまう。深さと広さのちょうどよい加減のところで読みを提案して行かなければ、生徒はついてこられない。これは生徒の能力には関係ない。説明不足のままに深みに足を踏み入れることになってしまうのである。しかも別にそれが「正しい」読みでも何でもないのだ。テキストそのものが持っている力がある。その世界が十分に見えるような授業がよい。教師そのものは見えなくていい。そうでありながら、教壇に「ある」教師とはどのように立っていればよいのか。試行錯誤を続ける他はない。
 本書のあとがきは観世寿夫の妻が執筆している。その一部を引用してみる。観世寿夫にしてこのような苦しみを抱えているのかと勇気づけられる一節である。
「能一番を舞う前日、面や装束を選んでいる寿夫は、世にこんな幸福な顔があるかと思うほど楽しそうに真剣でした。練りに練って臨む明日の舞台の、そのイメージを最も華麗に描けるひとときだったのでしょうか。そしてアルコールも控えめにぐっすりと眠り、当日は食事もたっぷり摂り、暇があれば一時間ほど昼寝もして出かけていきました。でも、十年ほど前はちがいました。前夜からキリキリと物も言わず、よく眠れもしないのです。冥の会を始める少し前頃だったでしょうか。古典の能なんかやっていてもしようがないとは思わないか、能をやるということは本当に現代に必要なことか、と、まるで私を問いつめるかのように言う日が毎日のように続きました。苦渋に満ちて、答えを探して。次いで、この頃は足がふるえて幕から出るのがこわい、と言い出しました。若い奴がスタスタ橋懸りを歩けるのが不思議だ、とも。青山の稽古舞台だけでは間に合わず、マンション住いの狭い我が家の床で、ふっと立ち上がってはカマエ、足を滑らし、そんな状態がどのくらい続いたでしょうか。模索と試行に身を切り刻み、血を噴いて、彼は新たな坂をまた一つ越したのでしょう。いつか、古典への疑いも、ハコビの不安も、口にしなくなっていました。」(関弘子:執筆当時のことなど−あとがきに代えて−)