ツァラトゥストラ

ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

 光文社の古典新訳シリーズにはしばしばお世話になっています。古い訳は訳自体が難解で読む気がしなかったり、字が小さすぎ、行間が狭すぎて読む気がしなかったりするもので。
 『ツァラトゥストラ』もニーチェの代表的な作品と言われ、「神は死んだ」というフレーズだけなら誰でも知っているのですが、未読だったので今夏挑戦しました。内容をまとめるのは非常に難しい本で、たくさんのアフォリズム(警句)で構成された作品です。反聖書と言われているそうで、そこここに聖書のもじりがあったり、イエス・キリストキリスト教の神を批判する内容が出てきます。
 主人公ツァラトゥストラは山の上にある洞窟で隠者のような生活をしていますが、ある使命感にかられて山から人間のいる地上へ下ってきます。しかしツァラトゥストラの話は全然受け入れられず、地上をさまよい歩いたあと、また山にこもります。再び地上にやってきて、また山にこもり、最後は山の洞窟に「高級な人間」らしきさまざまな人たちがやってきて、彼らとしばらく話を交わしたあと、再び一人になってさまよいます。ツァラトゥストラと常に一緒にいるのは鷹と蛇です。これは誇り高さと知恵を示しているようです。
 神は死んだ、それは人間への同情によるものなのだとツァラトゥストラは言います。また神様に何でもお任せにしている人間を批判しています。ツァラトゥストラは人間を非難しながら、人間がもっと高い存在になれるはずだと語り、そのために努力するよう勧めます。しかしそれは暗い顔をして修行をしたりすることではなく、自由になることを意味するようです。ツァラトゥストラは「笑い」や「ダンス」を強調します。イエスは全然笑わなかった。むしろ今笑うものは不幸だと言った。ツァラトゥストラはイエスを批判し、あらゆる価値や権威を笑い飛ばし、軽やかになることを勧めます。この、人間が高みに登るあたりを読んでいると、仏教的な感じがします。仏教ではブッダは目覚めた人の意味で、固有名詞ではありません。後世、シッタルダ以上の人が現れなかったので、ブッダというとシッタルダを指すようになっていわば神格化されてしまいますが、もともとは誰でもブッダになれるというのが仏教の考え方です。ツァラトゥストラも人間が「超人」になれると説きます。
 かの有名な「永遠回帰」とか、「大いなる正午」の話も出てきますが、はっきりと書いてあるわけではなくよくわかりません。これも仏教的な意味での輪廻転生や解脱のことなのだろうかとも思いますが、ツァラトゥストラが言っている永遠回帰は同じ事を繰り返すということですから、輪廻とも違う気がします。永遠であり一瞬であるという時間感覚を超越した世界に入ることが大いなる正午なのでしょうか。
 キリスト教や神を批判しているので、もっと反宗教的かと思いきや、むしろツァラトゥストラは最も真面目な求道者のように見えます。巨大な組織となってしまった教会、神なしで勝手な解釈をされている信仰はニーチェの時代も今の時代もあるのでしょう。思えばキリストが地上に来た時にはユダヤ教が神の意図とはずれてしまったことにイエスは批判をしたのでした。最も神に忠実に教えを説いたイエスは殺されてしまった。ツァラトゥストラは近代の預言者なのでしょう。彼もまた現状のさまざまな価値を批判し、ひっくり返しています。中でも「からだ」の賛美は今こそ読んで面白いところです。精神とからだを分離して精神を高みに置く考え方に限界が来ていることを現代人はよく知っていると思います。ニーチェの時代にそれに気付いているところが面白いところです。身体が思想である。むしろ精神は身体に従属しているとツァラトゥストラは説きます。ニーチェには現代人が読んで面白いアフォリズムがたくさん含まれています。