宮崎駿論
- 作者: 杉田俊介
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2014/04/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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あの〈自然〉の唯一無二の輝きを損壊された『もののけ姫』以降の宮崎は、次第にかつての自作に対する二次創作〈自己模倣〉の傾向を強めていく。単純化すれば、『もののけ姫』は10数年前の『風の谷のナウシカ』をやり直すものであり、『千と千尋の神隠し』は『となりのトトロ』&『魔女の宅急便』を、『ハウルの動く城』は『パンダコパンダ』を、『風立ちぬ』は『紅の豚』をそれぞれ主題的に変奏=反復したものである。
そしてこの反復がどうしようもない零落を感じさせるという。確かにそうだ。筆者はこれを時代の転換と関係づけて書いている。21世紀は何も片付かない。ぐだぐだになりながら生きていくしかないという絶望が反映しているという。
アニメにしても小説にしても時代の雰囲気を反映してしまうものである。日本全体がまだ単純で楽観的でいられた時代はもう過ぎ去ってしまった。世界そのものがもっと単純だった気もする。単純だったから善いというようなことは軽々しく言えないが、今の世界は多様化というより収拾がつかなくなっている感じが強い。再び力あるものによるいくつかのブロックに囲い込もうとする動きも見られる。行き過ぎた近代化を反省し警鐘を鳴らす人はいるけれど、今まさに近代化を成し遂げようとしている国々は規制をかけられない。かつて日本もヨーロッパから見ればそういう若い国だったろうから。しかし資源は有限で、自然は汚染を無限には浄化できない。「若気の至り」で済まされない状況になっているようだが、何となくぐずぐずのまま日々を送っている。
こうしたすっきりしない世界で誠実に創作に関わろうとすれば、無責任にユートピアは語れないだろう。宮崎駿がというよりこの世界が生み出している作品が私たちの世界そのものを映しているのだから。