すばらしい新世界
- 作者: オルダスハクスリー,Aldous Huxley,黒原敏行
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/06/12
- メディア: 文庫
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人間達は科学の力によっていつまでも若いままで、60年ほど生き、死体はリン肥料として使われる。死を怖れたり、死を特別な厳粛なものとして感じたりすることは恥ずべきものと条件付けされている。
人間達は与えられる快楽に身を任せ、新しい発展などを考えないことで完全に調和した世界に生きている。それでも気分が落ち込んだり、腹が立ったりした場合は、ソーマと呼ばれる薬を服用することですぐに幸福な気分になることができる。ソーマは二日酔いのような副作用のないアルコールやドラッグのようなもので、人間たちは深くものを考えたり、悩んだりすることはない。世界は10人いる世界統制官によって完璧に統治されている。
このような「すばらしい」世界に、物語後半から「野蛮人」とされているジョンがやってきて、この世界のおかしさを批判していく。ジョンは特別区に残された旧世界の生活を守っているインディアンたちと暮らしていた少年で、新世界からやってきた女性と男性の間に生まれた胎生の男の子であった。
本書の「新世界」のさまざまな設定はよく考えられていて、ぞっとするほどだ。マンガ「NARUTO」の月の目計画を思わせる。あるいは映画「マトリックス」でもいい。人間は与えられた世界で何の不足もなく夢を見ているかのように理想的な生活を送っている。本書の一番面白いところは、世界統制官ムスタファ・モンドとジョンが会話を交わすところだ。ムスタファ・モンドは新世界では禁書になっている思想書や聖書や文学書などに通じていて、新世界の異常さを自覚しつつ、この世界のあり方を選んでいる人物である。ジョンはムスタファ・モンドにこの世界の異常さを突きつけ批判していくが、ムスタファ・モンドの答えを聞いていると、だんだん私自身も「説得」されそうになるくらい説得力がある。しかしジョンの答えがよい。引用してみる。
「要するにきみは」とムスタファ・モンドは言った。「不幸になる権利を要求しているわけだ」「ああ、それでけっこう」ジョンは挑むように言った。「僕は不幸になる権利を要求しているんです」「もちろん、老いて醜くなり無力になる権利、梅毒や癌になる権利、食べ物がなくて飢える権利、シラミにたかられる権利、明日をも知れぬ絶えざる不安の中で生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の筆舌に尽くしがたい苦痛にさいなまれる権利もだね」長い沈黙が流れた。「僕はそういうもの全部を要求します」ようやくジョンはそう言った。ムスタファ・モンドは肩をすくめた。「まあ、ご自由に」
ここでは、人間は快適さや便利さを求めて文明を築いてきたが、快適さと引き替えに自由を手放してよいのか、という問題提起がされている。新世界では人間が逆説的な存在であることは許されていない。だから、難病を克服して偉業を成し遂げた英雄も出てこないし、不幸な生い立ちをバネにして偉大な発見をした学究人も存在しない。生まれた時からあからさま差別が存在するが、そのことに疑問を持ったり、階級闘争を起こそうとする人間もいないため、争いもない。全員が自分の位置に満足しており、変革を望むものはいない。ジョンはそうした快適さを拒否する。このジョンの批判は現代文明そのものに対する批判である。便利であること、快適であることが「善」であるのか、という問い。あるいは何が善で何が悪かを自分で苦しみながら考え続ける自由があるべきではないのかという問いである。1932年という時代から考えると新しい。むしろ今の日本にこそ当てはまる。おそらく日本はこの新世界に一番近い。そういえば、アニメ「新世界より」はこの話が下敷きになっていると思う。あさのあつこ「ナンバー6」もこういう世界とその崩壊を表している。完全に管理された社会。しかもそれが強制されるのではなく、民主的に人々の総意によって決定されるようなことがあったら、それにどう抵抗すればよいのか。それがつまり全体主義なわけか。1932年に書かれるわけだ。