愛するということ

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

 心理学者エーリッヒ・フロムの代表作の一つです。フロムは愛は技術であるといいます。本書の原題は『THE ART OF LOVING』です。ARTとは技術のことです。多くの人が愛を感情の問題だと勘違いしており、愛する技術を身につけようとしていないと言います。本書の冒頭はこのように始まります。
 「愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するにちがいない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが浸れるような感情ではないということである。」
 フロムは、人を真に愛するためには、自分の人格全体の発達が必要だという。真の謙虚さ、勇気、信念、規律をそなえていなければならないという。
 今、本屋でベストテンに入っている本の中には、ここでいう「安易な教え」が溢れているといえるだろう。「愛されメイク」「愛され顔」「愛されボディ」といった言葉も目に付く。フロムは現代人が愛することに苦しむ理由を、第三章で詳しく論じている。それは簡単に言えば、資本主義社会の発達に伴い、すべてが商品化されてしまったことに尽きる。フロムは本書でこのようにまとめている。
 「現代人は自分からも、仲間の人間たちからも、自然からも疎外されている。最大の目標は、自分の技能や知識を、また自分自身を、つまり「人格のパッケージ」を、できるだけ高い値段で売ることである。相手もまた、公平で有利な交換をしようと血まなこになっている。人生にはもはや、前進する以外に目標はなく、公平な交換の原理以外に原理はなく、消費以外に満足はない。」
 フロムは愛することは、能動的な行為であり、自然に湧き起こる感情ではなく、恋に落ちるように不意にやってくるものでもないという。フロムは心理学者らしく、人間の発達から愛を説く。赤ん坊は母親から無条件に愛を与えられる。こうした愛を欲しがる未熟な大人の例も紹介されている。また、父親的な愛として、ある条件をクリアすれば与えられる愛があり、父親がお気に入りの息子を愛することが例として挙げられている。面白いのは、フロムは宗教を発達的に考えていて、母性的な神への無力な者としての依存が人類の原初の段階にあり、次に父性的な神に絶対服従する段階に進み、成熟した人類は人格的な神ではなく、原理としての神、つまり愛や正義を自分の中に取り込み、象徴的にしか神を語らなくなるという。フロム自身が旧約聖書の神を例に挙げて語っているように、この考え方は多分に西洋的だとは思うけれど、説得力がある。人は母親から離れ、父親から規律を学び、それを自らの中に取り込み、自律できる人格となっていく。
 現代の宗教の状況はフロムに言わせれば、原始の段階にあるという。最近になって宗教が復活しているなどとは真っ赤な嘘だという。現在の宗教は偶像崇拝へ退行しており、不安に怯え、前進する以外に目標をもたず、いつまでも子どものままでいて、助けが必要なときには父親か母親が助けにきてくえるのではないかと期待している。中世の人々も子どものように父親母親的な神を考えていたが、真剣に神の掟を身につけようともしており、自分の中に神の掟を取り込もうとしていた。現代人は普段の生活と宗教は切り離され、生活における物質的満足、社会的な成功といったものは確保したいが、宗教の掟を取り入れる気はない。困ったときには助けて欲しい。これは3歳児に近いとフロムはいう。そのような社会において、神はビジネスパートナーのようになってしまった。神は宇宙株式会社の代表取締役に変えられてしまい、人間が自分の職分を果たしているとき、背後に社長の統率力を感じている。神はそういうものになってしまったとフロムは指摘している。
 本書はいろいろなことを考えさせてくれる。これは現代人の様々な側面がバラバラにされて、それぞれ外部に委託されていることと無関係ではないと思う。身体のケアは病院に任せ、身体の部位によって専門家しており、心のケアはカウンセラーに任せ、という風に心も身体も細分化され、それぞれに人任せになってしまっており、それらはお金さえ出せば他人が何とかしてくれると思っている。自立した自己としてトータルな人格を作り上げようとしていない。ただ流れは変わってきてはいるのだと思う。このままではいけないと思っている人はいるし、変えていこうと努力している人はいる。そういう努力さえもが商品化されかねない世の中ではあるが、フロムも言っているように、「あなた自身どうしたらよいかをしるした処方箋をもらうことを期待している」のではだめなのである。愛することは教えることはできない、個人的な体験なのだ。訳者あとがきによれば、フロムは後年、仏教の研究に没頭し、禅にも取り組み、鈴木大拙を招いて共同でゼミナールを催していたという。西洋の思想は切断し、分析し、原理を発見していく考えだが、仏教はつないでいく思想だと河合隼雄も言っていたが、このバラバラに切断されすぎた世界で、トータルな人格をとり戻すためには仏教のような東洋的な思想が見直されなければならないのだろう。