性と柔

性と柔: 女子柔道史から問う (河出ブックス)

性と柔: 女子柔道史から問う (河出ブックス)

 本書は女子柔道史をその草創期から現代に至るまで詳細に描いた書である。本書を読んで初めて知ったことが多かった。柔道といえば「嘉納治五郎講道館」だが、この認識自体が後世に作られたものであることを明らかにしている。柔道以前からあった古式武術としての柔術講道館柔道以外にも発展し、海外にも広がっていた。しかし日本国内では軍国主義と結びついて学校教育などでも盛んに行われたため、戦後は剣道とともにしばらく武道は禁止されてしまう。そういう中で講道館柔道は剣道に先駆けてスポーツとして復活し、かつての歴史は塗り替えられてしまう。具体的には武徳会という全国組織が柔術も剣術も併せて指導を展開しており、段級の発行もしていた。ややこしいことに、講道館講道館で段級の発行をしていること、また講道館の高位者が武徳会の幹部だったりもすることなど、複雑に絡み合っている。
 女子柔道は講道館においては護身術として出発し、試合は禁止されていたし、男性と組み合うこともなかった。段級も男性のみに与えられていた。後に女性にも与えられるが、男性と女性を分けるために女性の黒帯には白線が入っている。ちなみにこの白線入り黒帯は日本独自のもので、海外の有段者は男性と同じ黒帯をしている。現在においてもそうである。一方武徳会や海外では女性が男性と組み合ったり、試合に出場したりしていた。
 女子柔道がオリンピックに採用されたのは1992年のバルセロナ五輪からである。女子柔道はオリンピックでの開催に向けて世界選手権大会などを開いて着々と実績を積んでいたが、いずれも海外が先行しており、日本は出遅れている。出遅れているというか女子柔道が試合をすることに消極的であった。世界での審判規定も定められたが、日本の規定とは違っており、技のいくつかが危険であるという理由で禁止されており、日本の女子柔道家はその規定で練習していたため、世界選手権では惨敗するということもあった。
 筆者は柔道界におけるさまざまな不祥事、セクハラ・パワハラ事件の根を社会学的視点で分析し、柔道の草創期から説き起こし、女子柔道の歩んだ被差別の歴史に求めている。とても説得力のある著作である。一般的に言ってもさまざまな不祥事が起こった時、不祥事を起こした側は、個人を処罰して切り捨て、速やかな幕引きを図ろうとするものだが、それでは組織の病は癒されない。柔道に関していえば、封印されてきた歴史を掘り起こすことで現在への処方箋が見えてきたようである。筆者はバルセロナ五輪の銀メダリストであり、身を以て女子柔道の闇を見つめてきたのである。こういう人が社会学者として柔道界にメスを入れていくことこそ、本書の説得力の源である。あとがきに筆者が社会学者になるまでが簡単に触れられているが、子育てをしながら一から学び東大の大学院に進学、学者として身を立てるというのは並々ではない努力があったはずである。それだけ問題意識が高いということだろう。使命感がなければここまでできるものではない。
 私が本書で気になったのは、筆者の視点とはずれるが、武道の学校教育導入の経緯である。1925年治安維持法が制定され、激化した社会運動を潰そうと国家が動いている時、武道界はその動きに追随していくのである。本書から抜き書きしてみる。
・1926年 中学校・師範学校令施行規則と学校体操教授要目が改正され、撃剣・柔術が、剣道、柔道と改称される。
・1928年 第一回普通選挙が実施され、無産政党が躍進し三・一五事件が起きると武道を思想善導の手段に用いようとする流れが強くなる。
・1931年 剣道と柔道は中学校の必修科目に制定され、学生の左傾化を防ぐため、心身鍛練修養を武道教育にもとめた。
・1933年 「嘉納館長の令息が静岡高校在学中に赤化事件の関係者として学校当局より諭旨退学」と時事新報に掲載される。
・1936年 文教法規のなかで「武道」という名称が初めて用いられた。武道場に神棚を置くように文部大臣が答申。
 ここを読んでいると、今がまさに「戦前」であることをまざまざと感じさせる。筆者には次のテーマとしてこの辺をさらに深めてほしいと思う。