荀子
- 作者: 内山俊彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/09/10
- メディア: 文庫
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孔子や孟子は堯・舜・禹のようないにしえの聖王を理想化してその治世を現代の王も見習えば理想的な政治ができると説きました。荀子は、古代の聖王たちが作った法や慣習をそのまま当今に使うのではなく、それらを基としながら、その時々の王が時代に合わせて改変していくべきだといました。しかし君主が恣意的に改変するのではなく、あくまで礼に従ってという条件付きです。荀子は現実には殺戮に殺戮を重ねて天下を統一しつつある君主を無視して理想論を語るわけにはいかない時代に生きていました。現実の王を認めつつ、儒者としての理想を語る仕組みが、君主の権威を礼の下に置くという考えでした。荀子は王になれない君主を「覇」として容認しました。韓非子や李斯は師の思想を受け継ぎながら、礼を君主の上におかず、法を君主が作りそれが規範となるという考えだけを発展させ、臣下を君主の下に秩序立ててピラミッド型の統治体制を作り上げました。この秩序自体は儒者の思想を受け継いでいます。法家と後に呼ばれる彼らとは違う系統の弟子達は秦の下でどのような儒者となっていったか、こちらも礼を君主の上に置きつつ現実と理想に折り合いをつける(現実の君主を認めつつ認めない)荀子の思想を受け継げず、君主を絶対化する方向に流れていきます。覇王である君主を聖王に近づけるために礼による矯正をかけていくのが荀子の思想でしたが(これはそのまま「性悪説」にあてはまる)、荀子の弟子たちは君主をそのままの状態で聖王として扱ってしまうということでしょう。
儒者が権力の内部に取り込まれていった結果、儒教は国教になり儒者は王を支える官僚として国家機構を強化していくこととなります。荀子は『荀子』の中で「非十二子篇」という部分で他の思想家を排撃しています。筆者は結果として荀子は諸子百家の思想の最後に位置する思想家としてその時代を終わらせる役割も持ったのではないかと言っています。荀子の後の儒者たちはこの「非十二子篇」を引いて他の思想家を排除し、儒教は正統な思想として国家を支えていくことになるのです。