心の力

心の力 (集英社新書)

心の力 (集英社新書)

 姜尚中の新刊です。前二作の『悩む力』『続・悩む力』に書いてある内容から、そう目新しいことはないように思います。今作は『こころ』と『魔の山』のその後を描くという、姜尚中オリジナルの小説が間に挟まれています。『こころ』に出てくる「先生」を慕う学生である「私」に河出育郎と名を与え、『魔の山』の主人公ハンス・カストルプと語り合わせるという面白い趣向で描かれています。文体は漱石を意識したようで、古めかしい言葉の選び方や風刺めいた語り口などに姜尚中漱石好きが見て取れます。小説の合間合間に、姜尚中のいつもの主張である、悩む者たちの苦しみと悩みを抱えてゆく生き方についての言説が続きます。私はこうした論説文を読むことに慣れている人には、あえて小説の形で具体化しなくてもと思うかもしれませんが、論述ばかりの文章を読むのが嫌な人にはこのスタイルは親切だと思います。
 『こころ』でなぜ「先生」が自殺してしまうのか、「明治の精神に殉ずる」とはどういう意味なのか、この疑問については国文学の分野でもさまざまな説が披露されている訳ですが、これという定説はないようです。姜尚中はこの疑問に答えるべく論を進めていきます。
 時代の変化に流されてただすべっていくことのできない、悩む人たち。そうして時代に取り残されたような気持ちになって時に死を選んでしまう人たち。誰ともつながれず、時代が要請する多数派の流れから落ちこぼれてしまう人たち。そうした人たちに姜尚中の目は優しい。それは姜尚中が在日として差別され、この日本にあって決して多数派にはなり得ないことと無縁ではないでしょう。多数派から次の時代の思想は生まれない。鋭い周縁からの目にこそ未来が宿っているものです。