オレがマリオ

オレがマリオ

オレがマリオ

 俵万智の第五歌集。歌集や詩集を読むことは少ないのですが、最近は評論文ばかり読んでいたので時々こういうものを読むとホッとします。読書がただの情報処理になってしまうと格段に面白くなくなるものですが、歌集や詩集はそうした読書を決してできないのでいいです。普段の読書ではそんなに気にしない装丁や印字された文字のフォントや用紙の余白までもが味わいたくなってくるから不思議です。本当はどんな本でも本作りに携わっている人たちはそうした細かいことを隅々まで考えて世に送り出しているはずなので、読む側も全部見る方がお得であると思います。デジタルデータの時代には合わない考え方かもしれないですが。
 さて、この歌集。まず3・11の被災の様子から詠い起こされ、西へ西へと子連れの旅を続け、沖縄の石垣島に定住するまでを詠います。

 電気なく水なき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ
 空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず
 ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご
 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

 短歌だから、すべて説明し尽くさないからこそ伝わるものもある。俵万智さんが『サラダ記念日』でデビューした時、その自由な詠みぶりに驚いたものだが、そういう「スタイル」はすぐに模倣され陳腐なものになってしまうはずだ。俵さんが本物だと思うのはその詠みぶりを続けながら古びてもいないし、陳腐でもないことだ。もちろんそれは素材の選び方にも秘密がある。よい詠い手とはよい料理人のようなものだろう。よい素材を探してきて素材のよさを引き出す。「あとがき」に俵万智さんは書いている。「子どもの歌は、刺身で出せる。鮮度のいい素材は新鮮なうちに、切れ味よく。いっぽう恋の歌は、じっくり寝かせ、ソースやスパイス、盛りつけや器にも心を砕かねば……そんなことを思いつつ編集をした。」この歌集には子ども(息子さん)の歌がたくさん出てくる。いずれも活き作りのような鮮度を楽しめる。思わず吹き出すような歌も多い。

 「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ
 どんぐりを集めている子並べる子中を見たい子投げてみたい子
 「小躍り」を初めて見たりポケモンのカード掲げて回りやまぬ子

 お母さんだなぁとほほえましく思える句と世間の冷たさをふと感じさせる句もあり。

 日本語の響きもっとも美しき二語なり「おかあさん」「ありがとう」
 クレヨンの一本一本一本に名前書くとき四月と思う
 特大のバンドエイドを購えば「男の子かい?」男の子です
 貝殻をはずされてゆく寒さにて母子家庭とはむき身の言葉
 開花宣言聞いて桜が咲くものかシングルマザーらしくだなんて

 恋の句はさすが与謝野晶子の再来と言われるだけのことはある。

 性欲のこと聞かれれば女にもあると答えて時計をはずす

 「性欲」なんて言葉が詩になるところが歌人である。

 観覧車の歌口ずさむ秋の空 思い出じゃない一日が欲しい

 この歌を見た時思わずにやりとしてしまった。この歌には本歌がある。「観覧車回れよ回れ思い出は彼には一日われには一生」(一生は「ひとよ」と読む)これは中学校の国語の教科書にも載っている有名な歌だから知っている人も多いだろう。ファンサービス的な歌。