別れの挨拶

別れの挨拶

別れの挨拶

 本書は丸谷才一の死後発行された文集であるため、『別れの挨拶』と題され、表紙には丸谷才一氏とおぼしき人物がスピーチ原稿を持って立っている絵が描いてある。本書の装丁は和田誠である。丸谷才一はスピーチの時に必ず原稿を用意する。話がだらだらと長くならないためだそうである。思いつきの内容ではなく、吟味された言葉でスピーチをするのである。和田誠毎日新聞の書評欄「今週の本棚」を丸谷才一が主幹した時から表紙絵画家として起用された人である。この装丁を見るだけで、丸谷才一がどれだけ愛されていたかが分かる。
 本書は文集であるため、さまざまな話題が書いてあるが、大きく5つに分かれている。「批評と追悼」「王朝和歌を読む」「日本語、そして男の小説」「書評15篇」「最後の挨拶」これらを読んでいると、丸谷才一の幅広い知識と教養に圧倒される。批評や書評というものがそれだけで読み応えのある文章になるのだということを教えられる。毎日新聞の「今週の本棚」は今もとても面白い。私は日曜日にこのページを読むのを楽しみにし、だいたいここで紹介されて本を読むことにしている。丸谷才一がこういうスタイルの書評欄を新聞に作ってから、他紙の書評欄も充実していったそうだ。そういう意味では丸谷はまさに文化を創り出したのだと思う。
 丸谷才一というと現代仮名遣いを否定し、歴史的仮名遣いを使い続けたことでも有名だが、その理解が正確にされていないということを知った。「わたしの『歴史的かなづかひ」や「テフとドゼウ」に詳しく書いてある。ちょっと引用する。

 「私は蝶をチヨウと書く。なぜテフとしないかといふと、これは漢字音で、和語ではないからである。つまりわたしは国語改革には反対だが、漢字の音に関する限り、新仮名方式に賛成なのだ(ただし拗音、促音のとき、ャ、ュ、ョ、ッを小さくしない。蝶はチョウではなく、チヨウ)。
 われわれの祖先は漢字を取り入れたとき、随唐の音をなるべく律儀に移さうとして努力した。たとへば、升と勝はシヨウ、昌と賞はシヤウ、妾と摂はセフ、小と昭はセウなどと発音し分け、かつ書き分けたのである。それが字音仮名づかひといふものだった。
 しかしこれはやがて、升も勝も昌も賞も妾も摂も小も昭も、みな、shoと発音するやうになつたし、さうなつた以上、シヨウと表記してかまはない。といふよりもそのほうが便利である。昔の外国語の発音に義理を立てる必要はない。」

 この後丸谷は、漢語は外来語であり、その発音が時代を経て変化していけば、その発音に近い表記を使うべきだが、和語は私たちの深層に関わる、文化の起源に関わる言葉だから、変えるべきではないと言っている。
 歴史的仮名遣いと言われると、どうしても学校で覚えた古文の仮名遣いを思い起こすが、あれは平安時代が中心のものだから、古すぎる。丸谷は国語改革以前に戻すことを主張していると言っている。残念なのは、私がすでに新仮名で育っている世代なので、旧仮名が自由に使えないことである。福田恒有なんかは旧仮名・旧漢字に戻せと言っている。活用の問題(「思ふ」はハ行だが、「思う」はワ行とア行が混在してしまう)や漢字の語源が分からなくなってしまう問題(「売る」「賣る」なんかは、「貝」が入っている旧漢字の方がお金に関わることというニュアンスが出ている)など。新仮名・新漢字には問題が多い。発音と表記が異なるのは昔からのことであり、同じようにしようというのに無理がある。「読む」「書く」と「話す」「聞く」は全く別の回路を使っているのだ。