ガリヴァー旅行記

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

 『ガリヴァー旅行記』というと小びとに取り囲まれて横になっている絵を思い浮かべ、面白そうなファンタジーというイメージでしたが、今回通読してみて、全く違うイメージで驚きました。
 全体は4編に分かれていて、船乗りであり船医でもある、語学に堪能なガリヴァーが船で出かけ、途中で難破するなどして誰も行ったことのないような国に到着し、再びイギリスに帰ってくるというパターンです。表題はそれぞれ
第一編 リリパット渡航記 小びとの国
第二編 プロディンナグ国渡航記 巨人の国
第三編 ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリップ及び日本への渡航
第四編 フウイヌム国渡航記 馬が知的に進化している国
となっています。個人的には「ラピュータ」と「日本」がまず読んでみたいと思ったのですが、期待は見事に裏切られます。確かにラピュータはあの「天空の城ラピュタ」のモデルとなっていると思われますが、あまり楽しくはなさそうなところです。ラピュータに住んでいる人々は物理学や数学を異常につきつめている人たちで、すぐに自分の世界に閉じこもってしまうので、話をする時や人の話を聞くときには従者が専用の杖で口や耳を叩いて注意を喚起しなくてはなりません。ラピュータは地上(島)を支配していて、もし逆らう場合はラピュータそのものを落下させると脅かしています。ラピュータは巨大な磁石のようなもので地上(島)から浮いているので、下の島より他に出ていくことはできません。「天空の城」というほど高いところにあるわけではないのです。
 日本の記述は悲しくなるくらい少なく、当時(1726年)日本がヨーロッパから見ると小びとや巨人や馬がしゃべったりする国と同レベルかもっと不思議な国として認識されていたのだなと思いました。江戸から長崎まで主人公は護送されていくのですが、その合間の記述はほとんどありません。たぶん地名として平戸などの港以外は知られていなかったのだと思います。
 作者スウィフトの問題意識が、ファンタジーを書くことではなく、時勢への諷刺にあったことは明らかで、やたらと政治に関する話や国家機構の話が出てきます。イギリスを相対化するためにあえて他の国を創造したという感じです。注を参照すると何を諷刺しているのか何とか分かりますが、同時代人でない私たちには伝わらない話が多いです。内容が王室批判だったりするので、出版に関してゴタゴタがあったのもうなずけるところです。
 フウイヌムの話は人間そのものに諷刺の矛先が向いていて、ある意味現代的な意味を最も持っている一編と言えるかも知れません。この国ではフウイヌムと呼ばれる知的生命体(どうみても馬)が支配している国で、素晴らしく紳士的・民主的に国が治められている。そこにはヤフーと呼ばれる醜悪な生きものがいて(どうみても人間)、フウイヌムたちによって家畜化されている。このヤフーにガリヴァーは非常に強い嫌悪感を覚えますが、次第にこの醜悪で残忍なヤフーの特性が、知的生命体である人間と変わりのないものだと気づき、愕然とするのです。ちなみにヤフーはあのYahooの語源だという説もあります。