人に強くなる極意

 佐藤優は外務省で数々の修羅場をくぐり抜け、また鈴木宗男がらみの国策捜査によって512日間も勾留生活をしただけあって、その言葉は重くて深い。普段はいわゆるハウツー本や生き方本などは読まない私だけれど、佐藤優の本ということで手にとってしまった。佐藤優はやはり読書人である。普通の官僚とはその出自からして違う。同志社大学神学部研究科を修了して外務省に入省する人はいないだろう。高校時代に東欧を一人旅してチェコの神学に心酔するというのもかなり異色だ。
 本書は全部で8章の構成になっている。1.怒らない 2.びびらない 3.飾らない 4.侮らない 5.断らない 6.お金に振り回されない 7.あきらめない 8.先送りしない これだけ見ると案外普通のこと言っているなと思われるが、それぞれ佐藤優の実体験が盛り込まれているので面白いし、実践的である。そしてそれぞれ「〜ない」となっておきながら、時には「〜する必要もある」という部分が必ずあって一筋縄ではいかない。マニュアルとしてこの本を活用できない所以である。
 それから各章の末尾に「〜ない」を考えるための本として2冊ずつ本が紹介されている。たとえば、「怒らない」を考えるための本としては、榎本まみ『督促OL修行日記』綿矢りさ『ひらいて』が挙げられている。ここで紹介されている本は平易なものが多く(時々そうでもないものもあるが)、佐藤優の読書幅の広さを感じさせる。
 こころに残ったところとして、「検察との戦いで最後まであきらめなかった理由」を挙げたい。少し引用してみる。

 「あきらめる」べきものと「あきらめない」ものを自分の中で選別し、コントロールしてマネジメントすることが大切なのは間違いありません。
 エゴではない自分の思想や信条、存在意義といった自己のレーゾンデートルに関わるものに関しては「あきらめない」。少なくとも簡単には「あきらめない」ほうが、その後の人生にもよい影響を与えます。
 僕自身がそう考えるのは、やはりあの検察に勾留された512日間の体験が大きい。これについては、人生の中で「あきらめない」で向かった最大のものだと思います。
 国策捜査における検察は何でもすることは前述しましたが、すでに鈴木宗男氏を逮捕し有罪にするシナリオを用意し、そのための配役もストーリーも周到に練られていた。容疑を認めればすぐにでも拘置所から出られたでしょうが、僕は検察のシナリオには絶対に従わないと決めました。
(略)
 そして最も大きいのが第三の理由で、賄賂など受け取っていない鈴木宗男議員を裏切り、陥れることになる。これだけは絶対に受け入れられません。どんなに勾留されても、どんなに裁判費用がかかっても、あきらめるものかと思いました。
(略)
 もし僕が検察の圧力に屈して嘘の証言をしていたら。
 拘置所を出た後も、一生鈴木さんの顔をまともに見られなかったでしょう。スズキのバイクを見ただけで憂鬱になったかもしれない。そんなビクビクした人生はまっぴらです。有罪にはなりましたが他人にも自分にも嘘はつかなかった。
 国家の裁きに執行猶予はつくかもしれませんが、自分の良心の裁きに執行猶予はありませんから。

 佐藤優はやはり神学の研究者であり、実践者でもあると思う。宗教については様々な意見があると思うが、私は宗教を持つ者の強さを佐藤優に感じる。上記の話を「仁義」のような倫理観で語ることもできるだろう。しかしもっと根本的な善悪の基準は人の世を超えたところにあると思う。時代や状況のような水平軸に左右されない垂直の軸のようなものが宗教にはある。祖先崇拝も、輪廻も唯一神も個人を越えた理屈が支配する垂直軸の話だ。水平軸だけで生きようとすると、状況に応じてくるくると変化せざるを得ない。個人の力量のみに頼って生きざるを得ない。まさに無常の世界なのだから。そこに無常ではない世界を見て自分の位置を確認できるということが、宗教の最も大きな機能だと思う。