宗教に無知になるな

 現代日本で一斉を風靡したオウム真理教、また現在も勢力を伸ばしつつある幸福の科学そうした新宗教の源流はどこにあるのか。またしばしば話題になるマヤ歴による滅亡予言やUFOと宇宙人に関するまことしやかな言説。爬虫類人の陰謀からナチスユダヤ人迫害まで、こんな何もかもひとつの源流から流れ出ているとするのはあまりに強引なのでないかと思われるが、実に説得力のある論説で、ただおもしろ可笑しく書かれたサブカル本ではない。筆者はキリスト教グノーシス主義を研究する若手の研究者(同い年だ)で、宗教学の専門家だ。
 筆者は副題にもあるように霊性進化論の起源と変遷を辿ることを本書のテーマとしている。霊性進化論とは人間の生の目的は、自らの霊性を進化・向上させてゆくことにあり、その歩みの結果として、ついには神的存在にまで到達することができるという考えであり、その起源はダーウィンの『種の起源』以後の世界に生まれた、「神智学」にある。「神智学」はヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーという女性によって始められた宗教運動である。第一章ではこの「神智学」の展開が語られる。
 ブラヴァツキーの教説は筆者によれば「西洋オカルティズムの世界観を基礎に置きつつ、秘密結社・心霊主義・進化論・アーリアン学説・輪廻転生論といった雑多な要素を、その上に折衷的に積み重ねていったもの」と捉えている。この必ずしもオリジナルなものではない新しい宗教が受け入れられた背景として、筆者はアメリカでの宗教心の危機を挙げている。『種の起源』が発表された後、アメリカでは進化論によって強烈な打撃を受けた人や反発する人が現れた。従来のキリスト教信仰に飽き足らない人々をより合理的で腑に落ちる宗教観・死生観を求めて「心霊主義スピリチュアリズム)」運動に駆り立てていく。そうした社会の風潮の中で、ブラヴァツキーは霊性進化論の壮大な体系を完成させる。『シークレット・ドクトリン』である。この書の中で人類は七つの周期によって進化していくことになっている。始めは霊的な存在であった人類が物質的な存在になり、物質主義・科学主義になってゆくが行き詰まり、最後は霊的な存在に回帰して神人となり聖地に生まれるというのである。第一期「不滅の聖地に発生」第二期「ハイパボリア人」第三期「レムリア人」第四期「アトランティス人」第五期「アーリア人」第六期「バーターラ人」第七期「神人として聖地に回帰」。現在は第五期にあたり、アーリア人が支配人種とされている。今後はアメリカで文明が発展し、第六期はアメリカで中心となる人種(根幹人種)が生まれるという。
 霊性進化論の根幹には、光と闇の二元論があり、光に従うものは霊的な進化を遂げ、神人になるが、闇に従うものは霊的に退化して動物的存在になってしまうという考えがある。その霊的な進化のためにはヨーガや瞑想による訓練が必要で、より高次の存在へと覚醒して行くという思想がブラヴァツキーの死後、活発になっていく。ブラヴァツキーは霊界にいる大師から直接教えを受けることができたとされていたが、ブラヴァツキーの死後、神智学協会はリードビーターという英国国教会神父から神智学へ転じた人物によって、具体的な人物を大師に仕立て上げていく方向でその権威を維持して行くことになった。
 ヨーガの伝統的な思想をブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』に照らして再解釈する形で神智学を体系づけたリードビーターの学説はその後の霊性進化論の中心になっていく。師(グル)の指導により霊性を進化させることができる。具体的には精神の波長を師のそれに合わせていくのである。師に出会ったあとは、通過儀礼(イニシエーション)によって所属階級を上げていくのである。
 ここまで読んだところでオウム真理教を思い出さない人はいないだろう。いかにオウムにオリジナリティがないかがよく分かる。  
 ブラヴァツキーの死後に神智学を発展させた人物として筆者はシュタイナーを挙げている。「シュタイナー教育」で有名な人である。リードビーターらの救世主を自ら創り出すような考えに反発して神智学協会を離脱し、「人智学協会」を設立し、独自の教育観に基づいて精力的に活動した。日本の教育界ではシュタイナー教育についてどちらかといえば好意的に紹介されているが、シュタイナーの思想的背景についてはほとんど触れられていないと思う。
 これまでの霊性進化論においては、「アーリア人」は進化の過程の一段階に過ぎなかったが、アーリア人こそが「神人」であり、アーリア人とは、ゲルマン人であるとする考えがドイツ・オーストリアを中心に19世紀半ばから確立されていく。アリオゾフィ(アーリア人の叡智)と呼ばれる運動になっていく。さらにアーリア人ゲルマン人=神人が優れた文明を創り出していく一方、獣人である有色人種たちが妨害をして人類を堕落させているという陰謀論へと発展し、その獣人がユダヤ人に局限されていく。アリオゾフィの運動は20世紀初頭から徐々に拡大していき、ナチズムの源流の一つとなる。アリオゾフィ運動の後継団体の一つに「トゥーレ協会」があるが、第一次世界大戦後、若者たちの心を捉え急速に発展し、新聞を買収しゲルマン民族礼賛と反ユダヤ主義の論説を盛んに掲載した。トゥーレ協会の会員や関係者には、ディートリッヒ・エッカート、カール・ハイウスホーファー。アルフレート・ローゼンベルク、リドルフ・ヘスなどナチズムの重要な関係者が名を連ねている。1919年には「国家社会主義党」の下部組織を結成、1920年には「国家社会主義ドイツ労働党」(ナチス)と改称した。
 親衛隊(SS)を率いたハインリヒ・ヒムラーは「親衛隊の施設として『ヴェーヴェルスブルク城』という古城を入手し、金髪・碧眼の選り抜きの隊員たちを集め、ゲルマン部族の血統の永遠性を象徴する宗教儀礼を執行した。親衛隊のなかには、「祖先の遺産」という名称の研究機関が設けられ、そこでは、北欧神話ルーン文字を始めとして、アーリア人種の歴史的足跡の探求が行われた。また彼は、死者の再生を信じており、自身を1000年前のザクセン王・ハインリヒ一世の生まれ変わりであうと考えた。そしてヒトラーに対しては、カルマによってその出現が運命づけられた救世主的人物と見なしていたと言われる。」
 第二章では米英のポップ・オカルティズムと題して「輪廻転生と古代史」「UFOと宇宙の哲学」「マヤ暦が示す2012年の週末」「爬虫類人陰謀論」が語られる。どの項目もなかなか魅力的だが、共通して言えることは、自説が受け入れられなくなってくると反対勢力の陰謀があるという形で他への攻撃に転じていくところだろうか。前世・来世思想、スピリチュアルブームなど日本でも繰り返し出てくるポップ・オカルティズム。筆者はまとめ部分で次のように述べている。人間の負の心性はかつては悪魔や悪霊といった形で外部に投影されて信じられてきたが、近代化によってそれらは迷信として排除されてしまった。しかし負の心性そのものがなくなってしまったわけではないため、数々のポップ・オカルティズムがそれらを担っているとしている。殊に陰謀論現代社会に存在する不安、被害感によって増幅、指示されているとしている。
 第三章ではいよいよ「オウム真理教」と「幸福の科学」が中心に扱われていく。しかしながらここまで読んで教義の説明を読むとそれらが実に寄せ集めの教義にすぎないことが明らかである。米英のポップ・オカルティズムでも出てきた、認められないことによる陰謀論の生成はオウムにおいても顕著で、筆者によればそれは選挙で落選した時からだという。急速に攻撃的になっていったオウムが松本サリン事件や地下鉄サリン事件などを起こしたことは有名である。
 幸福の科学については私はこの本で初めてその教義の概要を知った。幸福の科学前史として、東京帝国大学で英文学を学んだ1874年生まれの浅野和三郎という人物が紹介される。浅野は大本教出口なおに出会って回心、大本教に入信。出口王仁三郎の片腕として活躍するが、意見の対立から脱退、「心霊科学研究会」を設立、欧米のスピリチュアリズムの文献を数多く翻訳した。また神智学に海軍機関学校時代の同僚から紹介されている。
 次に高橋信次というスピリチュアリズムと神智学を結合させて新しい宗教団体(GLA)を立ち上げた人物を紹介する。高橋の義弟に「ワン・ツー・スリー」という霊が降りてきて、高橋の指導霊として前世の記憶を回復させたことから高橋は宗教の世界に入っていく。高橋は48歳の若さで亡くなるが、晩年には自分は人類や文明の創造者であるエル・ランティであると名乗った。エル・ランティはイエス・釈迦・モーセを生み出し、彼らを通して人類に「神理」を授けたとなっている。高橋の死後長女の高橋佳子は自らを大天使ミカエルと宣言し『真創世記』という三部作によって詳細な宗教観を提示し、GLA会員に混乱を生み、多くの脱退者が出た。その後高橋=エル・ランティから直接霊指導を受けたとする人物が何人も出てきて、その一人が大川�璧法であった。
 大川�璧法は父親が宗教や思想に対して関心が深く、幼い頃から四書五経や聖書、『共産党宣言』などの書物に親しみ、東京大学法学部を卒業、総合商社トーメンに勤務していた。ある日大川は、日蓮イエス・キリスト高橋信次天之御中主神天照大神、モーゼなどと交信することが可能となり、霊言集を公刊していく。会社を辞め、幸福の科学を設立した。活動の初期は高橋信次のGLAの分派として活動していたが、勢力が拡大するに連れ、大川�璧法中心の新教団に変化していく。大川は自信をエル・カンターレと名乗る。幸福の科学の教義もやはり「神智学」のヴァリエーションの一つであり、内容はよく似ている。光と闇の対立、輪廻転生などなど。そして陰謀論も盛んで、幸福の科学を批判的に扱ったメディアなどが悪魔に取りつかれているとして攻撃されている。後には高橋信次とGLAまでが悪魔として格下げされ、大川�璧法の地位が確立していく。
 最後に筆者の総括がよくまとまっているので引用する「霊性進化論とは、近代において宗教と科学のあいだに生じた亀裂に対し、その亀裂を生み出す大きな原因となった「進化」という科学的概念を宗教の領域に大胆に導入することにより、両者を融合させようとする試みであった」と。また、筆者はこの「妄想の体系」を笑い飛ばせない現実があると警告する。まさに宗教と科学の間の亀裂、科学的価値観による近代物質主義はこのまま運営可能なのか、人類の叡智である宗教的遺産をどのように継承するべきなのかなどの問いは答えのないまま私たちの前にあると指摘している。
 3・11を経験し、物質文明の行き詰まりを感じさせられている私としてはこの話は単なるサブカル本としては読めない。思うに日本人は宗教に弱い国民になってしまった。政教分離の原則そのものに反対ではないが、教育の場から宗教を完全排除し、宗教アレルギーとでもいってよい国民をつくり上げたことはかえって、国民から宗教に対する免疫機能を全く奪ってしまったからである。人間は現実世界だけでは生きていけない。特定の宗教を信じていようがいまいが、宗教心はたぶん誰でも持っている。かつてどの家にも仏壇や神棚があった時代はことさらに宗教教育などいらなかった。各家庭で行われていたからだ。何だか分からないけれど、人知を超えたものがあって、それが善悪の基準になっている。宗教心が倫理の裏付けとなっていた。近代化以降それらが迷信としてうち捨てられ、代わってキリスト教が西欧から入ってきたが、根づかなかった。新宗教が次々と生まれてくるのは日本が近代化を進めていくのと軌を一にしている。大本教1892年、天理教1888年。これらは筆者のいう「宗教と科学のあいだに生じた亀裂」が生まれた時代と言ってよいだろう。それは現代も解消されていない。いつでもオウムが生まれる可能性がある。個人的にはキリスト教・仏教・イスラム教など世界の主要な宗教はどの学校でも必修にしてその根本教義を学習すべきだと思う。知らないから怖れ、宗教は危ないなどという言説がまかり通るのである。私に言わせれば、宗教に対する無知ほど危ないものはない。免疫のないまま日本でも最も優秀な頭脳を持ったはずの人間がオウム真理教に入信したのはほんの20年ほど前の話だ。宗教を学ぶことと、教化することは別だ。悪性の宗教病にならないために、歴史の洗礼を受けて残ってきた人類の叡智である宗教理念を予防接種しておく必要があるのである。そうすれば少なくとも「イスラム教徒=テロリスト」というようなバカげた話は誰もしなくなるはずである。