消される歴史

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 「女装」の持つ歴史的、文化的な深みを自ら性別「越境者」である著者が緻密な分析と豊富な例証で語る。学問的にもきちんとした書物。
 本書は古代から現代に至る「女装」の歴史を掘り起こし、女装の持つ文化性を明らかにし、近代化ともに貶められていった性別越境者への再評価を目的としているようである。筆者自身の体験は第5章に詳しく書かれており興味深いが、男性として生まれながら、内なる女性性との葛藤に苦しむあたりは本書では軽い筆致で描かれているものの、実際にはそうとうの苦しみだったと思われる。筆者が研究者であり、こうした文化研究を発表することは数多くの性別越境者への救いとなるだろうし、ヘテロセクシュアルな人たちの認識のバイアスへの救いともなるだろう。ポスト・モダンの哲学者たちが歴史の掘り起こしをし、私たちが「常識」と思っていることが近代以前においては通用しないことを明らかにしたように、筆者は性別の二分法の厳格化も近代以降であることを日本の性の文化史から明らかにしている。明治時代に主にドイツの医学を輸入した日本では、性別越境者が「変態性欲」「病気」「狂人」などのカテゴリーに押し込められる様子が法律の制定などを例証に引きながら詳細に論じられている。それ以前の生き生きとした性別越境者たちの活躍、またそれを享受する人々の存在は日本文化の豊かさを感じさせる。よくぞこんなにも集めたものだという資料・文献の数々は筆者の並々ならぬ情熱を感じさせる。
 ヤマトタケルの女装から語り起こされる古代の女装文化の章では、「双性原理」という概念で性別越境者の特殊な位置を説明している。二つの性を持つ性別越境者には特別な力があり、超自然の存在として畏怖され、共同体の導き手、神の声を聴く巫女のような存在だったようだ。こうした習俗はアジア全体に今でも残っているそうで、殊にタイでは古代から現代に至るまで濃厚にその文化が残っており、筆者はそれを西欧の植民地にならなかったからではないかと推測しているが納得できることである。
 中世・近世の寺社における女装と性愛の文化、芸能と性愛の文化は最も魅力的な章で、女性と女装した男がほぼ同じように扱われていること、今でいう風俗嬢と歌舞伎の舞台役者が交換可能な存在として社会に認められていることなど、狭苦しい倫理にがちがちに縛られた現代人の索漠とした感受性では受けとめきれない豊穣さを湛えている。こうした豊穣さは近代化とともに、犯罪的なものとして摘発され、処罰されアンダーグラウンド化していく。筆者は現代のそうした「闇」に追いやられながらも前向きに生きている「姐さん」たちに再び正統な位置づけを与えようとしているようだ。実際、女装した男を愛する男性はいつの時代にも存在し、同性にも異性にも相談できないことを「姐さん」に相談にくる若い女性は後を絶たないそうだ(この相談役としての性別越境者の存在はほとんど古代の巫女と変わらないと思う)。