甘えと日本人
- 作者: 土居健郎
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筆者は「甘え」の基礎を母子の関係に置く。母子が完全に一体化している時期を「甘えている」とは言わない。母を自ら求めるようになると「この子はもう甘える」と周囲から評される状態になる。つまり甘えは分離を契機とする。年齢を重ねるごとに甘えはいつでも満たされるわけではなくなってくる。その葛藤がさまざまな心の状態を引き起こす。筆者は「甘え」の語彙として「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」「ふてくされる」「やけくそになる」という「甘え」が受け入れられない場合に相手に起こる感情。「たのむ」「とりいる」は甘えさせてほしいという気持ちがあり、「こだわる」「気がね」「わだかまり」「てれる」は甘えたいがそれを素直には表現できない場合に現れる。また、「すまない」は「済まない」ということで、するべきことをしていない(済んでない)から相手に迷惑をかけたと思うことへのわびの気持ちが生ずる。親切な行為をしてくれた相手へその行為が相手に負担になったであろうというところから、親切への言葉に「すまない」が使われる。ここにはわびないと相手が非礼を感じるのではないか、相手の好意を失うのではないかという「甘え」が潜んでいると筆者は洞察する。筆者はアメリカへ留学した時、自分の指導医の親切に「I am sorry.」と言って、相手を当惑させた自分の経験を語っている。ちなみに筆者が留学したのは1950年で、今と同じように考えるべきではない。
筆者の「甘え」理論の面白いところは、精神科医らしく臨床経験に「甘え」を応用するにとどまらず、社会現象、文芸解釈、歴史解釈などにも多くの発言をしていることである。そのいちいちを挙げられない。どれも一般向けのやさしい語り口の本なので誰でも読める。駅の書店などでベストセラーになっているいわゆる啓発本の類を読むよりはだいぶ有益であると思う。
文学作品では特に漱石の作品に多くの発言をしていて、『こころ』を「甘え」で読み解いた部分は大変面白い。「先生」と学生である「私」の関係、「先生」と「K」の関係を同性愛的だとする指摘に対して「甘え」理論で明快に説明している。またいち早く西洋の個人主義、近代化の行き詰まりを見通していた漱石の慧眼についてかなり詳しく論じている。甘えたいのに甘えられないという状態がさまざまな精神疾患を生むことになると筆者は考えているが、それは日本だけの話ではなく、近代人というのはおしなべてそういうものだといえるのかもしれません。筆者はもっと丁寧に説明していて、こんな乱暴な議論はしていませんが。
お互いに傷つくことを怖れて、微温的な「やさしさ」に包まれながら孤独を感じている、つながりたいけれど、深く関わることを怖れるそういう現代のあり方をすでにいち早く見通していた土居健郎。見える人には見えているいつでも。