身体をめぐるレッスン

身体をめぐるレッスン〈1〉夢みる身体

身体をめぐるレッスン〈1〉夢みる身体

身体に関してさまざまな視点から多様な論者が書いている論文集です。学術論文的な文章が並んでいるため、難解なものも含みますが、筆者一人の単行本と違って、いろいろな書き手を知ることができ、学習の幅が広がります。元々は監修が私の好きな鷲田清一であることと、加えて斎藤環が論文を寄せているから読んだのでした。
 中でも面白く読んだのは、「往還するジェンダーと身体−トランスジェンダーを生きる」(三橋順子)です。筆者は男性として生まれたが、社会的にはほぼ女性として生きているTG(トランスジェンダー)です。当事者が書いていることなので、大変説得力があり、この論文はすべての人が読んだ方がいいなと思わされました。私は以前より性やジェンダーの問題には関心を持ち続けていますが、どうしても思い込みや勘違いがたくさんあり、特にその術語の意味する内容については分かってつもりで分かっていないことが多いことに改めて気づかされました。
 筆者は「性同一性障害」という言葉が流布することによって、身体違和を持つトランス・セクシュアル(TG)は「精神疾患」であり、「治療」しなければならないという位置づけになってしまったとしています。筆者によれば、性同一性障害の「障害」とは性別に違和感があることそのものではなく、それに由来する苦痛や社会的不適応が「障害」なのだと明確に論じている。2003年7月に成立した「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(GID特例法)」は、一定の要件を満たした性同一性障害者の戸籍の性別記載(続柄)の変更を認める法律です。この法律によって戸籍上の性別の変更が認められ、救われた人が多いことを認めつつも筆者はその問題点を鋭く付いています。性別変更のための基本要件は身体(性器)の現状であって、ジェンダーの観点は皆無であり、社会的適応度などは問題とされていない。婚姻関係にある人の性別変更は認められず、子どもがいないこと、生殖腺がないことが要件とされていることから、伝統的な家族規範に背反する人を対象外にすることによって、性別二元制と異性愛規範に合致することができる人だけが性別変更を許可されるという構造を持っているとしています。
 新聞などで結構チェックしているつもりですが、この要件のことはきちんと書いていなかったように思います。読み落としているだけかもしれませんが。この法律でいけば、性別の戸籍変更をするような人は異常な病人であって、子孫を残したりしてはいけない、既存の性別に適合するように外見を変えて一代限りで生存を許すと言っていることになります。
 この法律の施行後、GIDの人はなぜ早く「治療」しないのかと周囲から言われたりすることもあるそうです。実際には性器を変えることを望む人もいれば、そうでない人もいて社会的に自認する性をしていれば、それでいいという人もいるのです。筆者は「男をする」「女をする」と言っています。実際周囲の人の受けとめも、男として生まれた人を、女性らしい仕草と格好によって女性として受けとめており、そこにホモセクシュアルの気配がなければ、実は男性と分かっていても、女装した男性とつき合うことも辞さない男性が一定数存在することを筆者は自身の体験を交えながら語っています。ホモフォビアがありながら、女装した男性は受け入れるという男性がいるということは、結局性とは一つの幻想に過ぎないと筆者は考えています。ここで私は鷲田清一の「女性は女装して女性になる」という話を思い出します。鷲田は服装とジェンダーの関係をファッションと絡めて詳しく描いています。
 私たちは性別が男女二つしかないと教育されて生活していますが、この二分法自体にそんなに確実な根拠はありません。限りなく男性的な存在から限りなく女性的な存在まで、そこには無数の段階があるのだと思います。それを無理に二つに分けているというのが実際なのだと思われます。