村上春樹インタビュー集

 インタビュー嫌い、メディアへの露出嫌いで知られる村上春樹が受けた数少ないインタビューの特集です。文庫版ですが結構な厚みがあります。村上春樹ファンとしてはとても面白いほんでした。私は個人的には作品については作品だけを相手にした方で、作家の伝記などにはあまり興味がないし、当時の発言などにもあまり関心がない方ですが、村上春樹だけは特別なようです。それは彼の生き方がとても魅力的にそして誠実に思えるからなのかもしれません。
 著者があとがきで触れているように、インタビューというものは毎度同じ事を聞かれる部分があるため繰り返しが多くなるのは仕方がありませんが、本書に関していうと特に退屈を感じたりすることはありませんでした。むしろその時々で同じ事を言っていても微妙な表現に違いがあり、それが村上春樹の真意をよりよく理解する手がかりになります。
 著者が繰り返し語ってるのは、身体の健康の大切さです。「健全な魂に不健全な魂が宿る」とどこかで言っていましたが、人間の闇・とても深い部分(地下2階と筆者は表現している)に降りていき、そこでじっと耳を澄ませ、再び戻ってくるには相当に強固な身体が必要だということです。この話には本当に納得させられます。私も最近ことにそうだと思わされるからです。私自身は物語を語ることはできませんが、生きていく上で精神と身体は思った以上につながっています。単純な善悪を超えたタフな思考をしていこうと思ったら、身体の健康、強さは必要です。そしてそれはマッチョな強さを意味しません。マッチョな強さはそういう思考しか生まないし、むしろ単純で危険なものです。そうではなくてしなやかさを持った肉体が必要なのです。
 また、創作の技術についてそんなに語っていいのかというくらい語っています。それは村上春樹の作品は村上春樹にしか書けないという自負と謙虚さがあるからだと思います。地下鉄サリン事件の被害者をインタビューした『アンダーグラウンド』について著者が語っているところで、普通の人の物語の魅力について語っているからです。つまり物語はそれぞれの人には固有の物語がありそれはその人にしか語り得ないものですが、それを物語の形にして書くことができる人は限られているということです。著者自身が言っているように、村上春樹はきわめて個人的なことを書いています。しかしそれが普遍性を持つのは、どこまでも深く掘り下げていくと、人々が共有する物語に行き着くのだと思います。著者はユングの書籍はほとんど読まないし、河合隼雄氏と突っ込んだ話をするのは「危険」なので会ったら馬鹿話ばかりしていると言っています。「あんまりわかっちゃいけない」とも言っています。物語は頭で考えて作り出すものではなく、あちらから来るものだとも言っています。なるほどと思います。
 村上春樹の作品が一人称の語りから三人称に変わっていく経緯について、長編小説と短編小説の書き方の違いについて、筆者にとっての翻訳についてなど興味深いトピック満載です。しかしながら村上作品を読んでいる人でないとおもしろさが分からないと思うので、ここにつらつら書くのはやめておきます。それにしても村上春樹はあんなに混沌とした物語を書いているのに、非常に自分のしていることに自覚的で、正確に説明する努力をし、それはとてもわかりやすくなっています。村上春樹流に言えば、混沌としたものを書くためには、秩序だっていないといけないということでしょう。
 村上春樹の生き方に惹かれるのは、彼が自分のしたいこと、得意なことをするためにひたすら努力しているということです。私も含めて妥協の連続で仕事をし、生きている人間にとっては、村上春樹の存在はそれだけで希望です。それは修道士がどこかでひたすら神のために祈りを捧げているのと同じくらい、無関係だと言ってしまえば無関係だが、同じ人類がそういう風に生きられる、しかも同じ日本人が生きられるということに対する希望です。