ラファエロとルーベンス

 ラファエロ(1483〜1520)は時代的にはダ・ヴィンチミケランジェロより少し後の世代だが同時代に活躍し、37歳の若さで亡くなっている。ラファエロの絵は完璧に美しい。曲解しようのない調和の美だ。同時代の音楽とも同じような感じを受ける。ジョスカン、デュファイ、オケゲム、イーザクなど和音はほぼ予想通りのところに落ち着くので歌いやすいし、安心して聞いていられる。でも何度も聞いていると退屈かもしれない。また、それらの作曲家の違いを聞き分けるのが難しいかもしれない。例えば、ベートーベンやモーツァルトを聞くようには聞かないだろう。ラファエロの絵もゴッホモディリアーニを観るようには観ない。でもジョスカンの音楽がグレゴリオ聖歌よりは個性的であるように感じられるように、ジオットのフレスコ画よりもラファエロは個性的だ。でもそれがもっとはっきりわかるのは、ラファエロの弟子たちが描いた絵とラファエロの絵を比べる時だ。ラファエロはその構図や色彩なども後世に大きな影響を与え模倣されたが、それらの作品とラファエロの絵は全然違う。今回の展覧会で並べて置いてあるのを見ると、それがはっきりわかる。ラファエロの絵の艶っぽさ、柔らかさ、輝き、あれだけ強い色彩を使いながら(赤や緑が多い。金もよく使う)、派手ではない。弟子の描いたものは、その色彩のせいで俗っぽくなってしまっている。ラファエロのは神聖さを保っているところが秀逸である。それは技術的なものなのか、それが一流と二流の芸術の違いなのか、よくわからない。様式美というか、そこしかないという形におさまっている。この流れはマニエリスムと呼ばれて、むしろ後世には形だけの芸術品の悪口になってしまう。ラファエロは模範だが、真似ることはできない。今回そういうわけでラファエロ自身の作品は少なかった。特に小椅子の聖母がなかったのは残念だったが、やはり本物を見られたのは特別な体験だった。図版などでは質感まではわからない。
 ルーベンス(1577〜1640)は17世紀に活躍したフランドルの画家である。ルーベンスについては今回の展覧会で初めて知ったことが多い。まず数カ国語を話す国際人だったようで、外交官のような仕事もしていたらしい。また、巨大な自宅兼工房を経営し多くの弟子を使って質の高い絵画を量産していた。現代の「芸術家」のイメージとは少し違う。実業家のイメージである。工房を持って弟子を使いながら親方として絵画制作をしていたのはルーベンスだけではないが、ルーベンスは銅版画を用いて、自分の絵の型を作り弟子にその質を保たせていたという。今回の展示ではそういう部分に光が当てられている。そのため、今回の展示ではルーベンス自身の作品と工房作品がどういう関係にあるかや、ルーベンスと他の画家の共同製作品も展示されている。ルーベンスの原画と銅版画を比較して展示しているのも興味深い。ルーベンスは様々な土地でいろいろな作風を勉強したようで、フランドルの作風(緻密な細密画の伝統)の他に、ラファエロなどのイタリア絵画の影響も受けている。でもラファエロよりも写実的、人間的に見える。ヤン・ブリューゲルとの共同製作作品が展示されていたが、ヤン・ブリューゲルはいかにもフランドル絵画で、絵画というより工芸品のような趣を感じる。職人芸である。ルーベンスには表現を感じる。