肯定の心理学

肯定の心理学-空海から芭蕉まで

肯定の心理学-空海から芭蕉まで

 臨床心理の専門家が、空海芭蕉の著作や人生を語る少し変わった本です。臨床で出会ったクライアントとの体験も取り混ぜながら、死の向こうにある生を探ります。
 心療内科の門を叩く人は、W.ジェイムスの分類によれば、「病める魂」の人々でしょうから、死の向こう側に生がある、二度生まれの体験をする可能性があります。河合隼雄などもそういうことを言っていて、クライアントとのカウンセリングの中で死の道行を倶にすることがあり、そこでは象徴的な死を遂げなければならない。本当に死んでしまってはいけないが、本当に死んでしまうほどの苦しみから回復していくと。
 筆者は何度かフロイトの限界について述べています。それはフロイトが人間肯定の時代に生きていたからであると。フロイトについてよく知らないので筆者の意見を批判する能力はないのですが、「人間肯定の時代」は少し引っかかりました。そんなものが本当にあるのか。いつの時代も死に引きずり込まれそうな魂の持ち主はいるのではないか。
 空海芭蕉も旅をした。筆者も四国巡礼の時に疲れ切った自分が自然と一体化する感覚を得て、空はからっぽでありながら、すべてを無尽蔵に含むものだと感じる。この感覚は分かる。筆者はしばしば近代以前、キリスト教以前という言い方をしているが、近代知の限界はいよいよ明らかにありつつあり、今こそ読まれるべき書物は古典だと思う。古典に語られていることは、知識ではなく知恵であり、それはつまり、頭だけで考えたことではなく、頭も含めた身体丸ごとでいかに生きるかを問うということだろう。
 思うに、人が発展的に進化してきたというのはある面では誤りで、限られた人生で個々人が到達できるところはやはり個々人で努力するしかない。現代人の多くは空海芭蕉に及ばないのではないか。便利な機器に囲まれながらも、魂のレベルではそう思わざるを得ない。