オリガ・モリソヴナの反語法

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

 米原万里は確か父親が共産党の幹部とかで、ソビエト時代に米原さんが幹部の師弟が通う学校に通っていたはずです。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』という小説にその辺の事情が語られています。今回のこの本も『嘘つき…』も帰国子女の人から勧められて読みました。「帰国生の気持ちがよくわかるから」というのがその理由です。『嘘つき…』の方がその辺はリアルに書かれていますが、日本の画一教育、○×教育、知識偏重教育への違和感が率直に描かれています。日本に行ったころ、クラスメートにソ連では窮屈な思いをしたのではないかというような問いかけをよくされたけれど、日本の方がよっぽど窮屈だったと筆者が書いています。以前佐藤優の著作を読んだ時に、日本でのソビエトの(というか東側の)報道がいかに偏ったものであったかを思い知らされる。社会主義の方が資本主義より優れているとか、マルクス主義は本当には理解されていない、革命はこれからだとか言うつもりはありませんが、どんな物事にも善悪両面があるもので、あるイデオロギーや国家を名指しして「悪」と決めつけるような言説には注意しなければならないと思います。
 さて、『オリガ・モリソヴナの反語法』の中身に全然触れていないことに気がつきました。この作品はとてもよくできたミステリーです。主人公が少女時代に会う、謎に満ちたバレー教師オリガ・モリソヴナの生涯について、中年女となった主人公が追っていきます。その中で、旧ソ連時代の強制収容所の実態や、民族差別の実態が明らかにされていきます。巻末の資料は膨大です。これらの資料を読み込めばあるいは事実が分かるのかもしれません。でもこの作品を読むと、小説は事実ではなくフィクションで真実を語るものだということを改めて感じます。あまりにも悲惨な事実はそういう形でしか語ることができないのかもしれません。この作品の優れているところは、そういう悲惨を語りながら湿っぽくなく、笑いが絶えず、それでいて涙が滲んでくるような味があるところです。私が心に残った箇所はラーゲリ(収容所)での生活をラーゲリ帰りの婦人が語る場面です。本も筆記用具の所持も禁止されていたラーゲリでは、記憶に基づく「書物」の朗読が流行ったというのです。長時間労働で疲れ切っていても、睡眠時間を削ってその朗読に耳を傾け、記憶が曖昧なところはみんなで補い、トルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編を「読んだ」そうです。その上、そんな風に無理をしたのに、肌の艶や輝きが戻ってきたというのです。たしかフランクルの『夜と霧』にもそんな話があったはずです。一日の労働の終わりに疲れ切っているはずなのにオペラを歌う男。それを涙を流して聞く囚人達。みんなひもじくて死にそうなのに、そのオペラを歌った男にスープの具の入ったところをたくさん取らせてやったという話が。人が「生きる」とは何なのか、こういう極限状態でかえってよく分かる気がします。私は十分すぎる食べ物と温かい家を持っていながら、芸術に感動している瞬間の囚人達より「生きている」と言えるのだろうか。芸術が人間にとってどうしても必要であることがわかる。ラーゲリ帰りの婦人は言います「自由の身であった頃、心に刻んだ本が生命力を吹き込んでくれたんですよ」。私も自分に生命力を与えてくれるような本を自分の中に貯めていきたいです。