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反転する福祉国家――オランダモデルの光と影

反転する福祉国家――オランダモデルの光と影

 ワークシェアリングを始め、福祉国家の先駆的存在として各国の模範とされてきたオランダ。古くから移民の国として多くの移民・難民を受け入れてきた「寛容な国」オランダ。しかし近年移民排除(同化)・難民拒否の方向へ政策を転換している。その背景に大衆的な支持を集める新右翼政党の躍進があった。
 本書は手厚い社会保障という光の部分と外国人排除という影の部分と一見相反するように見える現象が実はコインの裏表であるというということを論証している。
 本書は四つの章からなっている。第一章 光と影の舞台 オランダ型福祉国家の形成と中間団体 第二章 オランダモデルの光 新たな雇用・福祉国家モデルの生成 第三章 オランダモデルの影 「不寛容なリベラル」というパラドクス 第四章 光と影の交差 反転する福祉国家 であるが、これらすべてについて紹介していると長くなるので、興味深かった部分だけまとめてみる。
 オランダも他の先進諸国と同様、少子高齢化が進み、国家財政における福祉関係支出が膨らみ破綻寸前だった。そこで新たな雇用として、老人と女性に焦点が当てられたのである。オランダでは宗教的な理由もあり、女性が働くことに不寛容な国だったが、だんだんと変化してきた。その歴史的展開は第一章に詳説されている。老人と女性に焦点を当てる考え方は日本でも言われており、年金年齢の引き上げや、定年延長制度の義務化などが進められているし、女性の社会進出を促す様々な制度も(かなり不十分ながら)整備されつつある。しかしオランダの優れているところは、正社員と非正規雇用とを同列に扱う同一労働同一賃金が実現されているところだ。この実現の背景には労働組合の組織化が徹底しており、政府と一体となって正社員の賃金削減とパートタイム労働者の待遇改善を進めていったということがある。多様な働き方が確保されており、企業任せではなく法律で定められており強制力を持たせている。オランダはそういうわけでワーク・ライフバランスが非常によいということになる。それでいて時間当たりの労働効率は日本よりも高いのである。日本では正社員は過労死寸前まで働かされ、パートタイム労働者はワーキング・プアに陥るほどの低賃金で働かされ、雇用の調整弁として自由に解雇される。ランダの制度の部分を読んでいると、日本がいかに異常な国であるかがわかる。これがオランダの「光」の部分である。
 オランダは移民や難民を積極的に受け入れ、マイノリティに開かれた多文化主義の国、「寛容」な国として知られていた。オランダの全住民に占める外国人系市民の比率は二一世紀初頭には約18%に達している。移民の師弟に二言語教育が提供され、イスラム系の学校にキリスト教系の学校と同等の公的補助が保障される多文化主義政策の徹底もあった。範囲民勢力は弱小でドイツやベリギー、フランスの方が高かった。しかし2002年ピム・フォルタインがフォルタイン党を立ち上げ、移民問題を取り上げると状況は一変した。
 移民問題は深刻で、開かれた多文化主義政策と手厚い社会保障のために生じた、移民への生活保護などにより国家の財政は圧迫されていた。オランダでは違法滞在の外国人であっても生活保護などの社会保障給付を受けられた。しかし外国系市民がオランダ社会に溶けこめているかというとそうではなく、外国人の集住する地域は貧困・犯罪の問題を抱えた「後進地区」とされていた。学校や結婚でも分断が起きており、移民第二世代でもそれは変わらない。このような問題は認識されていたが、オランダで移民問題を正面から取り扱うことは、タブーとされてきた。
 移民問題を正面から取り上げたフォルタイン党が躍進した理由として、1)既成政党への国民の不満が高まった。先進工業国において急進右翼(新右翼)が台頭する条件として、左右主要政党の政策距離の接近が上げられている(この文を衆議院選挙後に読むとリアルすぎて不気味である)。2)グローバリゼーションに積極的に対応し、民間市場原理を重視して経済の自由化を進めた反面、教育や医療・介護、鉄道、道路などの公共セクターの質が低下したことが国民の不満となった(これも他人ごととは思えない)。3)移民・難民問題。
 ピム・フォルタインは、「派手な生活スタイル、長身でおしゃれに着込んだ印象的な容姿、多彩な評論活動と歯に衣着せぬ発言で社会的注目を集め、また『ピム来るところにトラブルあり』といわれるほど論争的な人物であった。」と本書にあるが、日本の政治家の何人かはフォルタインをお手本にしたのではないかと思われるほどである。このフォルタインが移民問題に口を噤む既成の政治家やマスコミを批判して、国民の人気を勝ち取っていくのである。特にイスラム教を批判し、「遅れた宗教」として攻撃するが、その際、これまでの右翼のように民族的・国家的価値を重視して排外的主張を行う勢力とは一線を画し、西洋的な普遍的価値観から見て、遅れているイスラム教批判という手法を採っているのが特徴的だという。フォルタインは妊娠中絶などの女性の権利、同性愛者の権利を積極的に擁護し、安楽死や麻薬も容認する立場を取っているリバタリアン自由至上主義者)である。リベラル(自由主義)な右翼が誕生する。
 このフォルタイン進出の先駆けて、地域の運動がある。1990年代以降「すみよい」を名乗る地方政党が各地で急速に伸長していた。「すみよいヒルフェルスム」「すみよいユトレヒト」の躍進を受けて、「すみよい」を名乗る地方政党が雨後の竹の子のように結成されていた。これらの地方政党の既成政党の支配する地方政治の閉鎖性を批判し、住民の声を聴く開かれた政治を訴え、政治エリートを批判した(これも日本で聞いたような話だ)。これを受けて「すみよいオランダ」が結成される。これは「すみよい」を名乗る地方政党の連合ではなく、名前だけ借りた別物だが、主張の姿勢はポピュリズム的で共通している。「政治的中心地であるハーグに巣くう既成政党はすでにその役目を終えたとして指弾し、新党の参入による政治の活性化が必要とした上で、上院の廃止、公務員数の大幅な削減などの大胆な主張も並べていた」また、「すみよいオランダ」の支持者には「所得水準はむしろ高めであり、『重視する政策課題』のトップは犯罪・治安対策であった。また特に男性、若年層に支持者が多かった」という。
 「すみよいオランダ」は選挙対策として党の「顔」を探していた。その時にフォルタインが有力候補として浮上したのである。メディアは連日フォルタインを取り上げ、「すみよいオランダ」への入党者が殺到した。しかし難民問題での過激な発言が元で、「すみよいオランダ」から外される。フォルタインは自らの名を冠した新党フォルタイン党を立ち上げた。そして同時に党首となっていた「すみよいロッテルダム」の市議選で圧勝する。
 フォルタイン党の候補者には資質に問題のある者も複数含まれていたが、それでも支持率が急速に上昇した。その理由はフォルタインの派手な言動・行動がメディアの関心を集めたからだとする。その上で、フォルタインは先鋭的な主張をやわらげ、穏健な層にも支持を広げた。フォルタインの主張の「ぶれ」は、「選挙戦略と政権戦略を兼ねる効果的な政治戦略であった」。
 総選挙まで10日足らずとなった5月6日にフォルタインは至近距離から銃撃され、死亡する。しかし総選挙ではフォルタイン党に多数の票が入り、大躍進し与党が敗れ、連立政権に連なった。カリスマ的リーダーを失った素人集団であるフォルタイン党は内紛が激化し凋落するが、フォルタインが主張した移民・難民政策の厳格化の方向性はこれ以後の政権でも引き続いて維持される。
 オランダは多文化主義から、「市民化」という名の統合政策によって、オランダ社会・オランダ文化への統合を強調していく。移民にはこれからやってくる移民に対しても在オランダの移民に対しても市民化試験の合格(市民化試験の準備のために受講する講座の費用は自弁であり、三年以内に試験に合格した場合にのみ費用が払い戻された)などが課された。その一方で「歓迎すべき」外国人に対しては、むしろその流入を容易にする政策が進められている。これはヨーロッパ全体で起きている人材獲得競争である。したがってオランダでは主にイスラム系住民にターゲットが絞られて排除されている。その結果、トルコ・モロッコからの移民数は激減している。
 移民へのオランダ社会の「価値規範」強調は、一般市民へも及び、治安対策と結びついて14歳以上の全住民に身分証明書の提示が義務づけられ、生体認証パスポート、9桁の市民サービスナンバー導入、監視カメラの大幅増加などが進むと共に、オランダ史の「基本的事項表」(オランダ史を代表する人物や事象の表)を小中学校の必修項目として生徒に教えることが義務づけられた。
 筆者は第四章でまとめとして、光と影の交差を説明している。「包摂的」で先進的と目される福祉国家においてこそむしろ排外主義が生じているパラドクスを解く鍵は「参加」の論理であると。ここは筆者がまとめて書いているのでそのまま引用する。
 より多くの市民を労働市場へと「参加」させ、包摂を進めようとする現代の福祉国家は、いまや女性も高齢者も障害者も含め、全員が何らかの形で経済社会に貢献する、一種の「参加」型社会を志向するようになった。市民に積極的な「参加」を求め、参加を拒むものには福祉国家のめんばーとしての資格を制限することは新しい現象であって、これは社会の構成員としての条件、すなわちシティズンシップの概念に大きな変化が生じているといわざるをえない。しかし、「参加」がシティズンシップのコア概念となるならば、「参加」に困難をともなうとみなされる人々、とりわけ外国人や移民は、一部を除けばシティズンシップを認められることは難しくなり、最終的には少なからぬ部分が「排除」される可能性が高い……「権利」の前提として「義務」「責任」を強調し、社会への「参加」をキーワードとするワークフェアにおいては、福祉に対する権利を認められるのは、基本的には自らの属するコミュニティに「参加」し、「責任」を果たす者のみに限定される。自らの責任において能動的に職業訓練やボランティアに参加する、いわば「アクティヴな行為主体」と認定された者のみが福祉国家の構成員となることが許されるのである……失業はもはや「社会問題」ではなく、個々人の「モラルの欠如」の結果として個別に解釈されていく。そうだとすれば、ここにおいて、「万人に無条件に付与される」ものとしての福祉国家のシティズンシップは大きく変容している。
 筆者はこの変化の原因として「脱工業社会」における労働の質の変化を挙げている。少子高齢化による低成長時代の富の担い手の増加を目指すのならば、むしろ労働力として大量の移民が流入してくることは歓迎されるのではないか。実際1950年代から70年代にかけての高度経済成長期のローロッパはそうであった。しかし労働がベルトコンベアの単純労働から、サービス労働に変化してきたことで、労働者にはコミュニケーション能力が最も重要なスキルとして求められることになった。つまり言語が扱えないといけない。また、ホスト国の文化も理解してコミュニケーションを行わなくてはいけない。
「『人がモノを生産する』時代から、『人と人がコミュニケーションをとりながら、モノならざるモノ』を生産する時代に移行しつつある『ポスト近代社会』は、諸個人に『言語によるコミュニケーション』を通じて社会に『参加』すること、そして『人と人との関係性』を通じて新たな価値を生み出す『能力』すなわち、『ポスト近代型能力』を要求する社会でもある」
 あとがきで筆者はコミュニケーション能力を個人の側に一方的に責任を負わせるのではなく、社会の側が自らを反省的に問い直す必要があると語っている。コミュニケーション上の問題の責任が多数派の側にあることも考えられるからである。そういう点で、ポピュリズム的な政治は、一見積極的な情報発信や切れの良い表現を駆使して市民の「参加」を促して、卓越したコミュニケーション能力を発揮しているようでありながら、自らと合わない少数派はあっさり排除していて、双方向のコミュニケーションを取れていないという問題があるという。
 この筆者の意見に深く共感する。コミュニケーションとは本来時間のかかるものであり、そんなに簡単にわかり合うことなどできない。『星の王子さま』のキツネの言葉を借りれば「なつかせたもの、絆を結んだものしか、ほんとうに知ることはできないよ。人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる。」ということだ。