舞姫

舞姫

舞姫

 高校時代に読んで以来の「舞姫」を授業で扱うために精読した。詳しく読めば読むほどこの小説がよく考えられた作品だと驚嘆する。
 あらすじだけなら、洋行してきたエリート青年が現地の舞姫と一時の恋に陥るが、愛と名誉との狭間で結局再びエリートコースに戻っていくというお話だが、なかなかそう単純ではない。
 主人公の太田豊太郎は、「厳しき庭の訓」と「母の期待」の元で順調に出世していくが、洋行先のドイツで「自由なる大学の風」に当たり「歴史・文学に心を寄せ」、自我に目覚めてくる。ドイツに来た頃はブランデンブルク門などの壮大な建築物や美しい男女に目を奪われるが、3年後の豊太郎はむしろ貧民街にひっそりとたたずむ古い教会が残照に照らされている姿に「恍惚」となる。ここでエリスと出会うのだが、出会う時間が「夕暮れ時」なのは象徴的で、芥川龍之介の「羅生門」の書き出し「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」を思い起こさせる。夕暮れ時は「逢魔が時」「大禍時」「誰そ彼れ時」などと言われ、魔に逢う時間、この世とあの世の境目の時間として古代より恐れられていた。だから旅人はふつう夕暮れに村に入ったりはしない。村人から警戒されるからである。この舞台装置に現れる美少女エリスは明らかに魔性の者である。
 エリスと豊太郎の結びつきははじめ師弟の交わりとして進んでいくが、その中でエリスは啓蒙されていく。豊太郎も始めは法律の専門家として国家に尽くしているが、歴史・文学に心を寄せることで目覚めていく。この作品ははっきりと書かれていないが、そうした文学的なものの力について語っている気がしてならない。歴史・文学に心を寄せるとは、美的な関心が生まれたということだろう。美的な関心には反権力的なもの、反常識的なものがないだろうか。実際豊太郎は歴史・文学に心を寄せた後、上司に反抗的な言辞を弄して疎まれるようになる。エリスは豊太郎の薫陶により「趣味」を知るようになる。つまり美的関心を身に着けるようになる。
 豊太郎とエリスが肉体関係に入るところも、工夫が凝らされている。記述は豊太郎の免官と母の死から始まり、途中にエリスが舞姫にも関わらず売春婦に堕ちなかったのは「剛気ある父の守護」のためであったという話が挿入され、エリスと肉体関係に陥ってしまったことを告白する。豊太郎における免官と母の死は、「国家」と「故郷」との断絶を意味するだろう。豊太郎の父は早くに亡くなっている。エリスは守護者である父を失った直後に豊太郎に出会っている。エリスも豊太郎もお互いの守護者を失い、結びつきが深まるという展開になっている。この前に「歴史・文学に心を寄せる=美的な関心が生まれる」が語られているのである。そうでなければ豊太郎は古い教会などに関心を示さなかったであろうし、エリスにそこまで深く関わらなかったかもしれない。
 エリスと豊太郎の世界は、あらゆる結びつきから隔絶された自由と美と理想の桃源郷のような世界だと考えられる。ここにはどういう意味でも未来はない。美しい永遠なる今があるばかりである。時間は止まっている。
 この時間を動かしていくのが相沢謙吉とエリスの妊娠である。相沢は国家と故郷の側から豊太郎を呼び戻す。エリスは二人の世界の時間を未来につなげようとしている。その二つの世界の中で豊太郎は何も決断できず、相沢に会えば、エリスとの関係を断ち切ると約束し、エリスに会えば、愛を再確認するのである。
 豊太郎には戻るべき場所が与えられるが、エリスには戻るべき場所はない。エリスは永遠なる現在に封じ込められてしまう。狂気の中でエリスは生まれてくる子どものことと豊太郎のことしか考えていない。ある意味でエリスは桃源郷にとどまったと言える。ここでは時間は動かない。豊太郎も無傷ではない。極寒の雪空を彷徨し、数週間人事不省となり、再び目が覚めた時にはエリスは廃人のようになっているである。豊太郎の一部も死んだと言ってよいだろう。
 この場面は異界訪問・異類婚姻を思わせる。『源氏物語』では光源氏が流刑の地で明石の君と出会い、その娘が中宮となって源氏の栄華を約束する。『記紀』でも大国主命根の国でスサノヲの娘と結婚して地上に戻り、兄神たちを倒して国を統治する。他にも海神の娘と結婚して子を産むが、姿を見られたために海に戻っていく話や、イザナギイザナミの黄泉訪問の話は有名だ。一度没落した貴種が異界を訪問して特別な力を得て(だいたい婚姻が絡む)帰り、栄華を極める話を貴種流離譚と言うが、「舞姫」も少し歪んだ形でその話形を踏んでいるようだ。エリスに会う場面の豊太郎の足取りと雪道を彷徨しつつエリスの元へ帰る豊太郎の道筋は一致している。異界への訪問と、異界からの帰還を表しているのだろう。行きは夕暮れ(逢魔が時)だったが、帰りは「夜半」である。日付の変わる時間頃に現実世界に戻る。シンデレラを引き合いに出すまでもなく、夢は覚めるのである。