行人

行人 (新潮文庫)

行人 (新潮文庫)

 『行人』も『彼岸過迄』同様、なかなか主人公が登場しない。敬太郎に当たる人物である二郎が語り手である。しかも始めは大阪から始まるので、大阪が舞台かと思いきや、舞台は基本的に東京である。ただ終盤はすべて手紙で、舞台も伊豆方面に移っていくのだが、この作品の主題上、舞台はどこでも差し支えないようである。
 『彼岸過迄』では「須永の話」が重要な告白になっていて、敬太郎がそれを聞くという形になっている。その後に「松本の話」があって、須永の話の補足のようになっているが、『行人』はもう少し徹底していて、二郎が頼んだとおりにHさんが旅先から報告してくれた手紙が「塵労」の後半を占めて、それで作品は終わっている。これは『こころ』になるともっと徹底して、「先生と私」「両親と私」「先生の遺書」の形になるんだろうと思わせられた。
 『こころ』との関連で考えると、一郎が二郎に不義の恋愛について「人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから」という場面が浮かぶ。恋愛は神聖で罪なものと『こころ』では書いていた(はず。まだ再読していない)。しかしここはむしろ『それから』の代助と三千代を思い出す。
 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」という一郎の苦しみは、多かれ少なかれ近代人(現代人)は抱えていると思う。それを中途で考えるのをやあめて何とか突き詰めずに生きているのが普通の人だが、一郎のように考えに考え抜いてしかし、考えることが苦痛を生んでいる人間には切実な問題だ。カンサンジュン氏が夏目漱石を高く評価していること、『悩む力』で悩み抜くことについて書いているのは、この一郎を見ているとよく理解できる。
 考えることが苦痛を生み出してるのに、それを考えることで乗りこえようとするのは無理だ。一郎はそれを分かっていて、「絶対」に自己が一体となる境地についてあこがれる。一郎は、非常な天才の香厳という坊さんが、その知恵ゆえに悟りに入れなかったが、すべての書物を焼いて、考えることをすべて辞めた後に悟ったという話をして「どうかして香厳になりたい」と言う。
 箱根で嵐の中を山に登りに行き、一郎が野獣らしい声で叫びながら歩き回り、ずぶ濡れになって湯に入り「痛快だ」と何度も言う場面がある。考えることをやめることができたらどんなにか楽なのにと私も思う。書斎に閉じこもる一郎は自ら病気への道を進んでいる。身体を動かして人間ではなく獣のように思考しない存在になる瞬間を持たなければならない。そこにしか解放の道はないように思う。もちろん、完全に悟ることができればと思うけれど、実際には悟りの瞬間があり、その一瞬間後には悟りから遠ざかっているのが現実ではないか。それはまだ悟りが浅いからなのかもしれないけれど。
 自然への敬意ということが何度か出てくるけれど、『それから』の時から人間の細工よりも自然の方が尊いということは言われています。その自然に一体となって、自我のない状態になるのが漱石の理想のようです。「則天去私」はそういう境地だろう。禅の「父母未生以前」の話が出てきます。『彼岸過迄』にも出てきたと記憶しています。生まれる前の姿になる。これも則天去私と同じ事だと思われます。
 そういう一点の作為もない自分になろうと一郎は努めますが、それが人間の作為によって行おうとしているところに無理があります。嫂にもそういうことを求めているのでしょう。見えないところがあるから、疑いが生まれる。狂人にしてみないとわからないという一郎の考えは、恣意を離れた人間を尊いとする考えと同じです。
 漱石は急速に近代化していく日本のただ中にいて、近代化が何を人間にもたらすのかをここまで洞察している。西洋人が江戸の人たちを見たとき、無邪気で明るく、何にでも興味を持ち、よく笑うと評しているのを何かで読んだことがあるが、そうした江戸の人たちも近代化されて東京人となって、西洋人と同様に考えることから逃れられなくなってしまったのだろう。私たちが今、未開の国の人たちをテレビなどで観て、目を輝かせて素朴に笑う姿に感じる、何か自分たちは大切なものを失ったのではないかという感じを当時の西洋人は、江戸の人たちに見ていたのではないか。
 眠っている一郎の側で二郎宛の手紙を書いているHさんは、「兄さんがこの眠りから永久に覚めなかったらさぞ幸福だろう」と言っています。これは死によってしか止まない人間であるがゆえの苦しみをさらに突き詰めていく『こころ』につながっていくテーマだろうと思われます。