それから

それから (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

 中学だか高校だかの時に読んだ時に比べると、自分の受け取り方が大いに違うことに驚く。代助の高等遊民的な生き方を学生時代は格好いいと思ったものですが、今読むと、ぐちゃぐちゃ言っていないで、ちゃんと働いたらどうかと意見したくなる。純粋性が損なわれるために様々な選択をあえてしない考えも、確かに理想的だし誠実であるとも言えるけれども、より少ない悪を選んで毎日を生きていかざるを得ない毎日を生きている身としては、無責任な生き方としてか映りません。代助はもちろん、自分が無責任であることを自覚しているし、あえて社会に関わらないと決めているのだから、私の批判にも痛痒を感じないに違いない。明治の激変期の様子は想像できないが、どの時代にあっても代助のような人はいるに違いない。代助ほど本当に高尚で、本当の知識人でなくとも、「社会が悪いから働かないのだ」と考える人は今の時代にもいるのではないか。
 思うに代助は極端な人だ。その極端が平岡の妻三千代に恋して、実業家との結婚を断り、親から勘当されるという結論を導く。代助自身が考えているように、実業家の娘と結婚して、なおかつ三千代との関係を続けるという手もあったはずだ。でも代助はそれを純粋でないという理由で退けてしまう。いかにも代助らしい考え方だ。『三四郎』の美禰子は現実路線を歩んで恋を捨てる(誰に対する恋かはともかく)。漱石の描く女性は現実的で、男性よりずっと強い。三千代もいざ、代助との関係が決定的になったとたん、代助より覚悟が決まっている。代助が最も怖れる死さえもはばかることなく口にして、代助をおびえさせる。平岡は代助の裏切りを長い手紙にして代助の父に送り、代助を窮地に陥れて復讐する。思うにこの話で勝者は三千代だけである。一度は捨てられたと思った愛を取り戻す。この後病気で三千代が代助に会えずに死んだとしてもそれは変わらない。