やはり偉大。

三四郎 (集英社文庫)

三四郎 (集英社文庫)

 現代の作家でもうまいと思う人はたくさんいますが、夏目漱石などを読むと次元の違いに圧倒されます。漱石を集中的に読んだのは中学生から高校生の時で、久々に読み返してみてその時には気がつかなかった文体のうまさに魅了されました。何度も思わず「うーん」とうなりながら本を閉じてしまうくらいです。こういう経験は現代の小説を読んでいても感じることはありません。
「うとうととして眼が覚めると女はいつの間にか、隣の爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の駅から乗った田舎者である。」この書き出しでいきなり作品の中に放り込まれます。映画のようでもあります。引用を長々すると面倒なのでしませんが、文末がうまい。二文続けて同じ文末になっているところはあまりなく、工夫されています。
 この集英社文庫版の解説は小森陽一氏が書いています。この解説が面白い。新聞小説のスタイルをとって書かれた三四郎は、9月入学の大学に合わせて9月1日から連載開始され、12月29日に終わっているそうです。そういうわけで読者はあたかも自分が三四郎になったような気持ちで読むことができ、作中に出てくるさまざまなイベント「菊人形」などを知らされ、一種の東京案内のような役割も果たしていると。なるほど作中の話も年末に三四郎が帰郷して、年始明けに下宿先に美禰子からの披露宴の招待状が机上に置かれているところで終わっています。こういう点にはぼんやり読んでいる私には気がつかないところです。
 小森氏はさらに色彩と視線の関係について、「光線の圧力」の研究をしている野々宮さんのことや、広田先生の「自然派」の話などもからめながら、見られる対象としての女、自立を妨げられている女について書いています。私はこの光線の圧力の話などは、何のための挿話か全く分かりませんでしたが、小森氏の解説で合点がいきました。本当によく考えられた小説です。これから前期三部作、後期三部作と読み、余力があれば他の作品も読もうと思います。それにしても再読は楽しい。