オノマトペの世界

「ぐずぐず」の理由 (角川選書)

「ぐずぐず」の理由 (角川選書)

 鷲田清一の哲学はとても身近に感じます。それはいつも自分が使っていることばやからだに密着した思考だからだと思います。そしていつも何気なく使っていて身近すぎるためにかえって意識することのない事柄に目を向けさせてくれます。そのためか、鷲田清一の著書は読んでいるとどきどきさせてくれます。自分の手に持っていたものが実はとんでもない価値を持っていたというような発見があります。
 今回のテーマはオノマトペです。オノマトペとは「音の絵」という意味だそうです。人のふるまいや様子を表す高度に抽象的な表現であると同時に人の行為や様子に密着した言語以前のうめきのようなものとしての機能の両面を解析していきます。
 濁点・半濁点のあるなしで意味が変化していく、「ほろほろ」「ぼろぼろ」「ぽろぽろ」や、母音の交代によって意味が変わる、「うろうろ」「おろおろ」、さらに母音が逆さになって「よぼよぼ」、促音が入ることでニュアンスが変わる、「にこり」「にっこり」「ぽきり」「ぽきっ」そして濁点がついて「ぼきっ」、撥音が入ってニュアンスが変わる、「ぽきり」「ぽきん」など、挙げていったらきりがないくらいたくさんの実例を挙げながら、オノマトペの本質に迫っていきます。そしてそれは、言語の生まれる瞬間に立ち会うような面白さがあります。ナ行のオノマトペにはねっとりとした絡みつくような語感がある、とかザ行やガ行には抵抗感の多いことば、ざらざら、ずるずる、ごろごろ、ごりごりなど、どうしてこの言葉が選ばれているのか、からだに直接感じるようなオノマトペはそのことばが発生したからそういう感覚が生じるのか、感覚にことばが生まれるのか、体の表面に感じるざらざら、するする、ずるずるなどは、食道を通る食べ物にも使われる。体の内と外で同じ感じ方をする。人間のからだは袋のようなもので、どちらも表面ということなのだろう。赤ん坊のつかう、「まんま」は乳房を表すと同時に食べ物を表し、母そのものを表す。そうした赤ちゃん言葉(喃語)のようなところがオノマトペにはある。
 鷲田清一の哲学はわかりやすくて、わかりにくい。わかったようでわからない。するっと手の中をすり抜けていく。とても追いつかない感じがする。でもそれが平易なことばで語られているだけにわかりそうで魅力的です。