注釈として。

ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)

ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)

 この別巻は、『アースシーの風』よりも先に書かれていたそうです。でも内容的には独立しているので、いつ読んでもよい内容です。短編集で、それぞれ本編の注釈あるいは補足のようになっています。
「カワウソ」は、ロークの学院ができるきっかけになったお話です。ロークは「手」と呼ばれる知恵ある女たちの住む島でしたが、カワウソの提案により、魔法学校として世の中に平和をもたらす魔法使いを養成する機関としての第一歩を踏み出します。本編の世界では基本的に魔法は男のものとされ、ロークがそういう考えの最たるものとされているのですが、草創期のロークは男女問わず混在する組織でした。しかしすでにその時にも男が中心になって運営していくべきだという考えは芽生えていて、学院は分裂しつつあります。
「ダークローズとダイヤモンド」は恋愛物語です。ハイタカは生まれながらの魔法使いで、その力は放っておいては危険だからということで、オジオンに見いだされ、魔法使いへの道を歩むのですが、ダイヤモンドは同じく生まれながらの魔法使いでありながら、その道を捨て、女性を選び、もう一つの生まれながらの才能である音楽の道に進みます。
「地の骨」は、オジオンの若い頃のお話です。『影とのたたかい』で、地震を鎮めた男として出てくるオジオンですが、その真実はなんであったのかが語られます。またオジオン自身もロークで学んだ生徒であったこと、そこでは学べないことがあり、ゴントに戻ってきたことが語られます。さらにオジオンの師匠ヘレスの師匠は女であったことが明かされています。
「湿原で」は、ゲドがロークの大賢人であった時代のことです。強大な力を持っていたために傲慢になり、ゲドと呼び出しの長であるトリオンと戦ってロークを逃げ出した男のお話です。『アースシーの風』につながる話として、トリオンの力が回復不能なまでに失われたことが語られています。
「トンボ」は完全に『アースシーの風』のプロローグとして書かれています。トンボの真の名はアイリアンで、竜であり人である存在です。最後にはあのトリオンを滅ぼして西のはてのそのまた西へ行ってしまいます。様式の長であるカルカド人のアズバーとの淡い恋愛もさりげなく語られています。カルカドに伝わる伝承のこと、つまり竜と人がもともと一つで、二つに分かれたという話がアズバーとクレムカムレクの間で交わされます。この話を読んでから『アースシーの風』を読むとより理解が深まると思います。
 この短編集に共通する主題の一つは男と女の問題です。本編でも『帰還』から追究されて問題です。一番それが強く出ているのは「カワウソ」と「トンボ」です。元々魔法が整理されて使われる以前は、魔法は男の独占物ではなかった。また、大地の力、太古の力と女性の関係は深く、男の使う魔法とは少し質が違うこと、ロークの学院が発展していく過程で、太古の力が排除され、一段低いものあるいは邪悪なものとして位置づけられてきたことなどが読み取れます。
 ロークの学院に女であるトンボが入学を望んだとき、賛成したのが、様式の長と守りの長と薬草の長と名付けの長だったというのは象徴的です。様式の長は外国人であり、アーキペラゴ出身ではありません。本来魔法世界の住人ではないのです。また、学院の外に住んでいます。名付けの長も学院から離れた塔に住んでいます。守りの長は学院の内と外の境界線にいる、いわば両義的な存在です。最も賢く、最も視野が広い人物です。薬草の長は確固とした考えに基づいてアズバーの側についたというわけではないのですが、直感的に女を学院に入れることが悪とは思われなかったのだと思います。というのは、薬草の長は大地に最も近いところで生活しており、物語中でも常に植物を見つけてはいとおしむ場面が出てきます。大地は母の力、女性の力です。ロークは大地の力を軽蔑していますが、薬草の長はその経験から大地の偉大な力を感じているのでしょう。そしてそれが女性に備わるものだということも。
 学院内の長たちや院生たちがヒステリックにアイリアンを拒絶し、追い出そうと必死になる様子は、女性を怖れる男性の心理を巧みに示していると言えるでしょう。怖れから生じる力がどんなものであるか、男性優位の歴史の中で私たちはそれをよく知っているはずです。ル・グィンの目はもちろんそこに注がれているでしょう。優れたファンタジーは常に現実世界への警告となって私たちに突き刺さるものですから。