結末
- 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ディビッド・ワイヤット,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/03/17
- メディア: 単行本
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ゲドの妻になっているテナーと、養女テハヌーは竜が町を襲っている件で、レバンネンの元に呼ばれています。このハンノキの話と竜の話は別々の話として進んでいきますが、一つの出来事であることが明らかにされていきます。そこにカルカド帝国の王女が加わり、そのことも一つの出来事であることがわかります。竜とロークの長たち、カルカド帝国の巫女と王女が一同に会し、世界の中心と言われるまぼろしの森の中で最終的な結末に向かって進んでいきます。
4巻から前面に出てきた女と男の問題がもっと実際的な場面とともに語られます。男の力の象徴である魔法使いが、全く役立たずになって、ロークの魔法使いからはむしろ低く見られているまじない師であるハンノキが先導役を務め、やはり男から劣った存在として蔑まれている女たち(テハヌーに至っては、やけどでただれた顔のせいで、男の愛玩物としての女すら求めようもなくなくなっています。つまり男にとって「無価値」なのです)が重要な役割を演じます。また、ロークからすれば異端とも言える、パルンの魔法使いであるセペルや、カルカド人の伝承や知恵によって問題を解決していくあたり、ル・グィンの感覚の確かさを思います。ここまで魔法使いの世界を完璧に作り上げてきたのに、その権威を自ら壊してしまう、その勇気と、力の「均衡」を求める公平性には驚きます。だからこれは、女が男を打ち負かす物語ではないのです。テナーがカルカドの王女セセラクに言う場面がよく表しています。「『テナー、わたしたちこれからどうしたらいいかしら。』『家を守らなきゃ。』テナーは答えた。」。それぞれが割り振られた役割を主体的に引き受ける、そこに人の本当の自由があるのだと思います。レバンネンが自分に重荷を負わせてくる多くの人たちに憎しみを抱く場面があります。ゴントにいるゲドに対してさえも。しかしゲドはなすべきことをすべて為し終えてあそこにいるのであって、レバンネンはまだまだ自分の役割を引き受けて苦しまなくてはならない。その孤独はゲドがずっと持ち続けていたものでもありました。1巻の中で、ゲドが長に言われたことでもあります。力を身につけ、魔法使いになればなんでもできるように思うかもしれないが、実際には力を身につければ付けるほど道は狭くなり、しなくてならないことだけをするのだと。そのテーマは最後の最後まで続いています。ゲドとテナーが暮れゆくアースシーを見ながら語り合う場面の何と美しく、平凡であることか。それは為すべき事を為したものの姿です。