神話の終わり。

ゲド戦記 4 帰還 (ソフトカバー版)

ゲド戦記 4 帰還 (ソフトカバー版)

 黄泉の世界で生と死のはざまの扉を閉めるために全能力を使い果たしたケドは、ただの男として生きていかねばならない。しかしなかなかゲドは出てきません。
 はじめは腕輪のテナーが、ゴハという呼び名で出てきます。オジオンの元での魔法使いとしての修行を投げ捨て、結婚して子も産み、子どもも自立して夫は亡くなり、寡婦となっている中年の女、ゴハ。そこに、強姦されたあげく、火に投げ込まれて顔の半分と、片腕が焼けただれた女の子、テルーを引き取ることになります。
 亡くなったオジオンの家でのテナーとテルーの二人暮らしのところへ、ゲドが帰って来ますが、力も自信も失ったケドは生きて帰って来たことを後悔しており、レバンネンからの戴冠式出席の使者を避けて山に行ってしまいます。
 この「帰還」では、前3巻にあった、冒険の興奮や憧れなどはありません。ひたすら現実的な、私たちの日常にいくつでもあり、時にうんざりするような濃密な人間関係や、日常のこまごました手仕事など、当たり前の生活が描かれています。この世界ではむしろ魔法使いは賢いが、何か精神年齢の幼い存在、人権意識の欠如した存在として出てきているようです。それに代わって今まで神秘の存在か、敵として出てきていた竜が主題として出てきます。竜とは何かという謎として。3巻の終わり頃から、竜はゲドの協力者として出てきますが、「帰還」では竜そのものは最初と最後に出てくるだけです。むしろ、人間と竜が本来は一つのものであったが、ある時に別れたという伝説が深められていきます。結末でそれはテルーが竜の子であると明かされることによって読者に示されます。
 「帰還」の多くはテナーの独白によって進んでいきます。男とは、女とは、力とは何かという自問自答。力を失ったゲドが、それでも生きていることに屈辱を感じていることに。疑問や憤りを感じます。正式な魔法使いは男だけのもので、力は男に由来するということの意味、女の力とは何なのかを考えます。テナーの友人であるコケばばが、「女の力は地中深く根を張ります。クロイチゴのやぶみたいに。一方男の魔法使いの力はモミの木みたいに、上に上に大きく、高く、堂々と伸びていきますが、嵐がくれば倒れてしまいます。でも、クロイチゴのやぶはなにをもってしても根だやしにはできません。」と言っています。
 ル・グィンアメリカでフェミニストの旗手と言われています。この作品を読むとなるほどと思います。ただ、男を敵だと攻撃して、結婚にさえ、女を家事労働に縛りつける制度として拒否するような極端なフェミニズムに違和感を覚えると、どこかでル・グィンは書いていました。「帰還」でもテナーは、最高の魔法使いであるオジオンの教えを自ら捨てて、つまり、男以上に男の力を身につけられる道を捨てて、自分の夫を選び、子どもを産み育て、女として母として生きる道を自分で選び取ったのです。
ゲド戦記」という名が付いていながら、ゲドはもう何の力も持たないただの老人になってしまいました。でもやはりこれはゲドの物語だろうと思います。魔法使いとして頂点を極め、その力を失い、生涯結婚することのない正式の魔法使いでありながら、女と結ばれ、知恵ある男として生きる。これは、影と自分を和解させ、欠けた腕輪を一つにし、生と死の扉を閉じたことの一直線上にある、男と女の合一、ゲドが完全な者になることを示しています。誰も歩いたことのない道を歩かなくてはいけないケド。しかしテナーが「あなたはいつも孤独だった」と言っていたように、今はテナーが側にいます。