幅広い教養

樹液そして果実

樹液そして果実

 こういう人を教養人というのだろうと思わされる一冊です。丸谷才一は私の中では研究者のような位置づけだったのですが、作家です。作品を読んだことがないので、今度挑戦しようと思います。このレベルになるともはや作家とか研究者とかいう分類に意味がないのだと思います。小田実などもそうです。
 それにしても古今東西の様々なことがらを扱って自由自在です。源氏物語からイギリス文学、新古今和歌集から折口信夫中村真一郎、ひとつひとつを研究者のように注釈をつけているのではありません。スパッと鋭く切って、面白く「読ませる」。結構厚い本ですが、すいすい読めます。
ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書

ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書

 一方、ペトロは遠く離れながらもその後を追いかけ申した。大祭祀の屋敷では下人どもが中庭の真ん中に火を焚き、車座になって当たっていたので、ペトロも(素知らぬ顔で)その者でもの中に割り込み、そこに腰を下ろした。すると一人の女中が火明(ほあか)りに照らされて座っているペトロに目をつけ、ジロジロと穴の開くほど眺めてから、こう言ったのでござる。「この人、あの男といっしょにいやはったわ。」
 ペトロは、しかし、大きく首を横に振って、言った。 
「いや、姐(あね)さん、自分は(おらァ)そんたな奴を(やづゥ)知らねァぜァ。」
 それからしばらくして、別の男がペトロをジロリと眺めて、こう言った。
「うん、お前もあの者(もん)の仲間の一人やな。」 それでも、ペトロは言った。
「友よ(ともオ)、そんたな事は(ゴどァ)あり得(え)ねァ。」
 それから半時ばかりして、また別の男が大いに力説してこう言った。
「ああ、確かにこの男はあの野郎と一緒にいたわ。なんでやちゅうと、そもそもこいつはガリラヤ者(もん)やさかいな!」
 訛りが故郷の手形でござった
 だがペトロは(必死に)言い張った。
「友よ(ともオ)、お前(めア)さんが語(かだ)ってる事は(ゴどア)俺にァ皆目(かいもグ)見当もつかねァ。」
 ペトロがまだそんなことを言っていたそのとき、鶏が時をつくった。丁度そのときのことでござる、(中庭の向こうを引っ立てられて行く)旦那さまがヒョイとこっちを振り向いて、ペトロをいつまでもジーッと眺めなさったのでござる。ペトロは、「今日鶏が鳴ぐその前(めア)に、お前(めア)が三回(みゲァり)俺を(おれァどゴオ)知らねァって語(かだ)る」と、旦那さまが言いなさったのを思い出した。(何ぞたまらん、ペトロは屋敷の)外へ逃げ出すや、(冷たい月の光の中で)ワッとばかりに泣き崩れたのでござった。
(ルカ22:54〜62)
 これは『ガリラヤのイェシュー 日本語訳新約聖書福音書』(山浦玄嗣訳 イー・ピックス出版)から引用した、有名な「ペトロの否認」の箇所です。この聖書は様々な日本の方言を使って人物を描き分けています。また、なるべく漢語を使わず、和語で説明しています。また、原典にはない説明を加えてわかりやすくしています。この聖書を読むとペトロたち十二弟子が本当に田舎者なんだなと実感できますし、イェシュー様(イエスのことです。イェシューの方が現地の読み方に近いようです)の言葉もあたたかくて身近です。全てが標準語で書かれている聖書とはまた違った味わいがあります。