常世はこの世か。

常世の舟を漕ぎて―水俣病私史

常世の舟を漕ぎて―水俣病私史

 尊敬する父を水俣病で亡くし、青年期には家出をして放浪し、水俣に帰ってきてチッソ告発の運動にのめり込み、運動から離脱して精神を病み(「狂い」)、回復して水俣病申請を取り下げ、なお水俣病を考え続ける緒方正人。あとがきで、辻信一は、緒方を「現代のシャーマン」と呼んでいます。北米インディアンの「ヴィジョン・クエスト」と緒方の「狂い」を重ね合わせています。ヴィジョン・クエストとは成人儀礼のひとつのようで、荒野を一人でさまよい、空腹と疲労の極地で白昼夢(ヴィジョン)を見て、その後の人生はそのヴィジョンにしたがって歩むというものです。荒れ野のイエス・キリストを思い起こします。
 緒方が母のことばを受け入れる部分は感動的です。「イヲばとって、カライモ作って、それを食って生きとれば、そいでよかったい」という母の言葉を、世間の狭い、無見識な言葉と蔑んでいた緒方は、運動をし尽くして「狂い」の果てにその深みを体得するのです。水俣病の「解決」というのが、どんなに運動を頑張っても結局、近代社会のシステムの中から出られないことに緒方は違和感を感じます。認定され、お金をもらってしまえば、システムに取り込まれてしまう。緒方は運動から遠ざかり、ひとりでチッソ前に座り込みます。抗議ではなく、人間として対話するために。システムに乗ってこない自分をチッソは扱いかねたと緒方は回想しています。裁判や交渉といったルールに乗って補償金を引き出す運動では、本当に人間としての回復は遠ざかるばかりです。水俣の魚介類や植物なども含めた自然への解決などできないという大局に立ち、人間の罪の問題にまで踏み込んで緒方は語ります。チッソは自分なのだと緒方は喝破する。そこには敵・味方を超えた、人間として自然にどう赦してもらうか、感謝していくかというヴィジョンが見えてきます。