文学として。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 公害問題に社会的な関心が高まる中、『苦界浄土』があまりにも注目を浴び、「公害告発」「被害者の怨念」といった観念で色づけされて受けとられているが、『苦界浄土』は石牟礼道子私小説なのだと文庫版解説「石牟礼道子の世界」で渡辺京二氏が指摘しています。
 私は本書を水俣学習のために読んだので、まさに「色づけ」して出会っているわけですが、読み始めてすぐにこれはそういう「告発」「怨念」という言葉に似つかわしくない小説世界だと思いました。水俣病になってからだが自由に動かなくなって、実際とても不便だと思うのですが、小説は明るく、どこかこっけいでさえあります。こっけいさと悲しみは裏表なのだろうとも思いますし、人が生きるというのは病気であってもなくてもそうなのかもしれません。水俣病患者を中心にとりあげてあるわけですが、むしろ印象に残っているのは、水俣の民の信心深さや、海の民としての健康でおおらかな心情です。海が目の前に広がり、魚を捕り、自然と一体になって、自然に感謝して生き、そして生きていく。時計など必要もなく、天気予報も聞くことなく、すべて五感で科学よりも正確に生きていく貧しくて豊かな民の姿。
 その民の姿はほとんど石牟礼道子の創りだした小説人物であり、「取材」の形で書かれているけれど、録音してテープ起こしした「肉声」などではないと渡辺京二は指摘します。
 本書の最終章「満ち潮」の中でこんな一節があります。「(会社が移転したからといって)水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間な生きとるばい。麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしたちは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。(略)会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。」水俣病を巡る闘いでは、患者を助けることと、水俣の全住民を助けることとが天秤にかけられ、水俣病患者がチッソに訴えることが、市民感情と離れていく様子が浮かび上がり、患者の救済とチッソの存続が同じ課題として取り上げられるのです。今、この箇所を読むと、どうしても原発のことが頭に浮かびます。原発推進派と反対派の意見は、この水俣の時と同じ構図ではないのかと。「原発あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。」と突きつけられているようです。水俣でも補償金を巡る問題が様々に起こっています。市民と患者、患者同士でも不公平感、カネにまつわる醜い争い。そこには沖縄の基地問題などが重なって見えてきます。
 石牟礼道子は、足尾銅山鉱毒事件を何度か引き合いに出しながら、水俣の問題とつなげて考えています。私はさらにそこに原発をつなげて考えてしまうのです。「チッソ+国」が、「東電+国」となっただけで、そこに横たわる問題は解決されていません。地方の村が生活基盤や生命までも奪われて、生きている誇りも奪われて、なお生きている。多額の補助金と引き替えに。
 チッソは現在、世界の液晶生産のシェアが50%とか。人口2万人と少しの水俣市の税収の多くはチッソに負っています。