こんな島で暮らしたい

スピリットベアにふれた島 (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

スピリットベアにふれた島 (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

 いつの間にか梅雨が明けたみたいで、猛烈な日差しに目がくらみそうです。でも部屋の中はクーラーがなくてもまだ涼しいですね。
 15歳の少年コールは、すべてのものを憎み、心が荒んでいます。ある時同級生のピーターに暴力を振るい、障害が残るほどの怪我をさせてしまいます。刑務所に送られるところを、「サークルジャスティス」の制度を紹介してくれた、アメリカ先住民の血を引く保護観察官のすすめにしたがい、無人島で一年間一人で生活することになります。誰もいない、誰も助けてくれない場所でいやおうなく自分に向き合ったコールは変わっていきます。最後には心にも体にも傷を負ったピーターとの和解を通じて、サークルを修復し、幕を閉じます。
 ストーリーだけ書くとよくある成長物語のようですが、無人島での生活や、先住民の古老の言葉などがとても深く心に残ります。冷たい池に身を沈めて自分の心をコントロールしたり、重い石を山の上まで持ち上げて転げ落として、怒りを投げ捨てたり、様々なダンスを通じて色々な動物になったり、トーテムを彫ったり……そういうことが深い知恵に基づいたものであることがよくわかります。
 「サークルジャスティス」は実際にアメリカで実験的に導入されている司法制度だそうで、懲罰的な司法制度とは違った考え方で運営されています。被害者の救済だけではなく、加害者の魂の救済が、結果的に全体に調和をもたらすというのは、本当によく理解できる、人間として本質的な部分なのだと思います。
 こういう本が読まれるようになってきている、サークルジャスティスのような制度が実際に司法制度に入ってくるということが、善悪二元論の西洋思想が行き詰まってきている証拠なのだと思います。その思想が滅ぼしてきたアメリカ先住民の知恵に、西洋思想を越えるものがあることに今さらながらに気がついたということでしょうか。日本でもヤマト民族が滅ぼしてきたアイヌの思想に人間と自然の共存のヒントが示されているように。
 池に浸かって心を静める場面を読みながら、鷲田清一がしばしば著書に引いている、マッサージ法を思い出しました。患者の身体を布一枚で覆って、身体に触れていく、そうすると傷ついた心が修復していくという。シャワーを浴びて気持ちがいいのは、身体への刺激が自分の身体を認識させるからだと鷲田清一は分析します。自分の身体は自分で見ることも触ることもできない。冷たい池に浸かり、刺すような刺激の中で、自分に徹底的に向き合う、そのことで、かえって自分を本当に忘れ、無に近づくことができる。怒りや悲しみなどの感情に自分自身が囚われることのない無の世界に行く事ができる。そこで始めて自分と和解することができる。