チャップリン

ダンシング・チャップリンを観ました。草刈民代と監督であり夫の周防正行の舞台挨拶があるということで、大変な大入りで、立ち見まで出ていました。髪をおだんごにした女の子とその母親という、バレーをやっているんだろうなという二人連れが圧倒的に多かったです。
 映画は二部構成になっていて、前半は映画のメイキングカットというか、舞台裏のお話で、練習をしている場面や、監督が演出家ローラン・プティンと打ち合わせをしている場面などでした。バレーをしている人には勉強になるだろうなという映像です。そういう舞台芸術に縁のない人でも、一流の世界で真剣に生きている人が、努力している姿を見るのは心が動かされると思います。
 二部はそのできあがった映画を見るわけですが、舞台芸術の良さと映画の良さをいいとこ取りした作品でした。音楽も効果的でした。チャップリン映画で実際に使われている音楽ももちろん多用されていて、改めていい音楽だと思いました。しかしそれよりもバッハの音楽が全体を枠組みとしてまとめていて、荘厳な悲哀に包まれています。挿入で使われるバッハは明るく軽やかで、音楽をよく分かっている人が丁寧に作った作品だなあと思いました。演技ではもちろん、七役を演じ分ける草刈民代はすばらしいのですが、何と言ってもチャップリンを演じているルイジ・ボニーノがすばらしい。元々はバレエ作品で、チャップリンの様々な作品のイメージで演じられていく、連作形式になっているのですが、私は特に「街の灯」に感動しました。盲目の花売りの女が出てくるお話ですが、花売りの女が盲目だと分かったときのルイジの表情は、言葉なしでここまで伝えられるかという表情でした。言葉では伝えられない悲しみです。チャップリン作品に流れる悲しみはよく言われていることと思いますが、ルイジのチャップリンを演じていながら、チャップリンにはなれないという悲哀が、それにさらに加えられています。作品の冒頭では、バッハの荘厳な音楽に載せて、チャップリンを追ってチャップリンになろうとするルイジが描かれます。作品末尾では、自分はチャップリンを演じているのだという、現実に戻ってきているようです。この辺は解釈が分かれるかもしれません。いずれにしてもいい映画でした。