戦争責任とは?

戦争と広告

戦争と広告

 筆者馬場マコトは、あのテレフォンレディの「はじめてのアコム」のCMを創った人です。消費者金融の業務形態を一変させる影響がありました。「サラ金地獄に落ちた人々が大勢出現しただろう。しかし、そのことへの想像力を私は回避している。罪の意識を感じないようにしている」と筆者はあとがきで書いています。時代に並走して生きるのが、広告業界なのだというのが筆者の考えです。「広告はその得意先が百年戦争を覚悟する狂気の集団であろうと、得意先の依頼に対して『自分たちの技術を最高度に駆使して』応えようとするものなのだ。」とも書き、広告業界だけではなく、文学・美術・音楽界の表現者たちへの戦争協力バッシングに対する違和感を表明しています。
 筆者の最終的な結論は「戦争をおこさないことしかない」としています。戦争が起これば、自分は必ず戦争をコピーを書くだろうとも書いています。
 この本の面白いところは、上記のような結構過激な主張は「あとがき」付近に出てくるだけで、全編は山名文夫(やまなあやお)の生涯と仕事に同じ広告人としての共感を込めながら丁寧に語るところです。戦争以前の仕事と戦中の仕事、そして戦後の仕事と創っているものは違っても、よいものを創りたいという思いに純粋に生きた文夫に寄り添って筆を進めています。
 山名文夫資生堂のデザイナーとして唐草模様のロゴマークを書いた人です。ところで、あのマークを考案したのは資生堂の社長だというのも、ああいうロゴマークというのを日本で初めて使ったのが資生堂だというのも知りませんでした。山名文夫と一緒に仕事をした人たちは高品質のポスターや雑誌を作り、それが戦時中は大政翼賛会宣伝部の仕事を一手に請け負い、ひたすら国家宣伝の量産をしていきます。戦後には、小山栄三が国立世論調査所所長を務め、広報学の体系を確立しました。暮らしの手帖社を創った花森安治など。
 前に読んだ、『国民歌を唱和した時代』でもそうでしたが、盧溝橋事件を境に国の雰囲気がガラッと変わるようです。その時代にいなかった者が想像するのは難しいことですが、時代の空気を吸い、時代の子として生きている人たちにとってはすべてが必然だったのでしょう。軍部は第一次世界大戦で戦力的には互角だったドイツが米英に敗れたのは自国正義の宣伝戦に敗れたからだと分析し、プロパガンダ専門の情報局を創っていきます。そういう仕掛け人が「責任」という意味では取るべきなのでしょうが、それぞれが一生懸命仕事をしていて、結果それが戦争に結びついているのが、恐ろしくもあり、哀しくもあります。