三部作完結

誰もが聖書を読むために (新潮選書)

誰もが聖書を読むために (新潮選書)

 読む順番が前後しましたが、鹿嶋氏の聖書シリーズ三部作を読了しました。『誰もが』は一番聖書の読解作業をしている作品です。聖書入門として、特に日本人向けにいいと思います。
 『聖書の論理が』に詳しく書かれている、グローバル社会というのは、結局英語圏の一極支配であり、キリスト教的枠組みを共有していることが前提となる世界であるという筆者の見解には同意できます。「多様化の世界」が欺瞞に満ちた宣伝文句であることは自明です。その中で、日本や日本人はどうするのか?というのが筆者の問題意識です。
 もう一つ筆者が問題提起しているのは、日本人の宗教観の幼稚さについてです。ちょうどオウム真理教の事件があってしばらくして書かれている本なので、新興宗教の話がたくさん出てきます。戦前の国家神道に傷ついた日本人が宗教抜きでやってきた高度経済成長の裏で、心の安定を経済だけでは満たされない人々が、特に若い人々が新興宗教にのめりこんでいく。聖書でも仏典でも原典に触れたことのない人たちが、さまざまな宗教の寄せ集めのような杜撰な理論を振り回す怪しげな教祖にだまされてしまう。しかもかなり高学歴の「賢い」人たちが。筆者はその現象を、形而上学のない日本人として描いています。科学的知識は導入したが、その根っこになっている形而上学は日本に根付かなかった、そしてそのまま現在に至っているという見方です。この辺のお話は、カンサンジュン氏の『悩む力』とも共通するところがありますが、現在の日本人に欠けているもの、今まで軽視してきたものが浮上していると言えそうです。